2013年12月16日

さようなら 堤清二





堤清二.jpg

文筆家 経営者 どちらとしても大きな足跡を遺して2013年11月に旅立った、堤清二

彼のアイデンティティの原点は、自分は妾の子 という負い目だった

子供のころ 近所の子らに囃したてられいじめられた とのちに述懐している


「茜色の空」に描かれた、リベラル宰相の大平正芳

彼の官界、政界に置ける東京商大卒 という傍流からの天下取り

堤の、大平を見つめる眼差しは温かい

堤清二が日本共産党員だったのも与党政治家、大実業家だった父への反発 がきっかけだったのは間違いない


彼の真骨頂は、自身が家庭を持ち、男の生理や本音を理解してからである


本当は資本家などかなぐり捨てて、ずっと作家 辻井喬でいたかったのではないか

常に悩み、迷い、周りの人たちへの配慮を重ねた堤清二には経営者としての冷徹な判断、リストラは無理な相談だった

彼が全財産を差し出してセゾングループの清算を決めた背景には、優しさゆえの優柔不断さ、弱者=従業員 への思いやりが複雑に絡み合っていたのではないか


遠い花火 book.jpg

辻井喬 自著「遠い花火」は筆者の半自叙伝である

主人公の島内源三郎に主張させる、

「人間の値打は人間としての力量や魅力で決まるものであり、身分、階級、出身地、あるいは肩書できまるものではない』

は 堤清二 本人の魂の叫びだったろう

彼は迷いながら一生 成長をつづけた、数少ない希有な思想家だったのかもしれない


優柔不断な実業家と モラトリアムな作家

そこに育ちのよさと 深い教養により修飾される、繊細な仕事が読者の一部にとってはたまらない魅力だったのではないか

破綻した堤義明を追い落とさなかったのも彼の教養のおかげである




彼はすべて無に帰する瞬間を ある意味待ち望んでいたのではないか

生に執着しないところもまた 堤らしい生き方だったと考える

彼が実母 岩崎ソノにやっと巡り合えたのは晩年になってのことだった


醸し出されるアンニュイで屈折した清二の世相観はもう誰も聴くことはできない




















posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 16:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月28日

〈書評をコメント〉「折口信夫の青春」 折口が同性愛者だったことに衝撃





折口 といえば大多数の識者が想うことは 民俗学の先達 柳田國男の一番弟子 というもの

だが 「折口信夫の青春」(富岡多恵子 安藤礼二 共著)によれば 彼はホモセクシャルであったという

さらに同書では同性愛者であることが彼の人生と著作活動に及ぼした影響を彼の著作を手がかりに掘り下げてゆく

現代とは比較にならないほど、閉鎖的保守的だった明治〜昭和初期

この時代に ホモセクシャル ということを隠さず、要職に就き、旺盛な著作活動をするためには よほど自分に自信があり周囲の彼への評価が高かったのだろう

あるいは 『大鏡』に描写されるほど太古の時代からの、仏門における稚児の存在など、もともと日本の文化には同性愛への寛容の精神に満ち溢れていた というべきなのか

とにかく わたしは 折口信夫が同性愛者だったことに衝撃を受けた

そんなことを言うこと自体が 折口に対して失礼というものだろうが・・


赤坂真理氏の「折口信夫の青春」への書評

『閉塞感や疎外感に苦しむ、すべての人に。私は、折口信夫がこの国に生きていたという事実、それだけで、励まされる』

これは彼女自身が折口の著作で励まされ、心の支えになっていたことの証 といってもよいだろう


赤坂氏の書評に目を通すだけで半分「折口信夫の青春」を読了した気になるから不思議だ



(以下引用)




赤坂真理氏の「折口信夫の青春」への書評

朝日新聞2013.8.25


(書評)『折口信夫の青春』 富岡多惠子・安藤礼二〈著〉
 ◇対談で描き得た人物像の新地平
 

折口信夫は、長らく私の気になる人だった。今や私のアイドルと言っていいが、彼自身の著書は、ぐっとくると直観はしても、とっつきにくい。しかし、折口に共振した人が紡ぐ言葉には、読んで心をわしづかみにされるものがあり、私が折口に近づいたのも、本書の対談者、安藤礼二や富岡多惠子の著作を通してだった。
 
折口信夫には、謎が多い。柳田國男の弟子というのが広く知られた顔だ。しかし、柳田に出逢(であ)う前に、折口の世界はすでに豊穣(ほうじょう)だったのであり、言語学、宗教学、のみならず短歌、小説など、これだけ多くの領域で一流の著作をなした人は、そうはいない。本書では、主に柳田以前、折口という「人」が形成される幼年期から青春期を、著作等を手がかりに追っている。
 
折口は同性愛者だった。その点も、二人は追う。暴露趣味ではなく、ごく自然に、人と人が出会い惹(ひ)かれ合い別れた記録として。すべての人間関係は恋愛に似る。そしておよそ「個」などというきらめきは、他者との圧倒的なかかわりの中からしか出てこない。
 
私が、他の折口論にいまひとつ興味を持てなかったのは、ほとんどの論者が、折口のセクシュアリティを、あたかもないかのように扱い、結果、どこかが薄かったからだ。富岡や安藤は、それほどに大きなファクターが、人生と表現に影響を与えないほうがおかしいと考える。折口は、同性愛者であることを隠さず、要職に就き、愛する者たちと共同生活を営み、磁力を放つ著作をなし続けた。家父長制の強かった時代において、想像を絶する勇気である。無視するほうが失礼ではないか。
 
驚くべきことに、この種の人材は、今日の日本社会においてさえほとんどお目にかかれない。異性装タレントには驚くほど寛容な一方、喧伝(けんでん)される幸せのかたちは、「男女が結婚して子供をつくり育てる家庭」ばかりであり、それ以外の物語はほとんど話題にもされない。それは多数派だろうが、そのかたちばかりが強調されて多様性がなく息苦しさを覚えることも、少子化の大きな原因ではないだろうか?
 
読めば読むほど引き込まれる本である。謎がさらに大きな謎を呼ぶミステリーのようであるし、明治から昭和という激動の時代と一人の人間のドキュメンタリーとしても、人間の孤独や愛を普遍的に描いた文学作品としても読める。資質も性別も世代もちがう二人の論者が、補完しあうようにピースをはめ、そうでなければ完成しない像があったと思わされる。
 
閉塞(へいそく)感や疎外感に苦しむ、すべての人に。私は、折口信夫がこの国に生きていたという事実、それだけで、励まされる。









posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 15:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

村上春樹氏 新作45万部、発売前に重版





ノルウェーの森 を初めて読んだときの鮮烈な印象がいまだに残っている


彼の作風を景色に例えると

いまにも雨が降り出しそうな曇天 だが 意外に外は明るく湿度も高すぎずサラサラした感じ


彼の著作を理解できるのは インフラが発達した資本主義社会に特有の、裕福な市民層 = ブルジョワジーのみ

中国でも村上氏の著作へのツイートが盛んのようだから かの国でも共産党一党独裁のもと、確実にブルジョワは増殖しているとみてよい




話はかわるが・・

前作 IQ84 3部作 は 新潮社から上梓された

今回は文芸春秋社からの出版


氏の言によれば 最初は短編小説として筆をすすめていたのが いつのまにか長編になってしまった という


ノーベル文学賞を射程に捕えた作家が まさか とは思うが 芥川賞ねらいに来たのか



なーんてね




(以下引用)



2013年4月12日発売の村上春樹氏3年ぶりの長編小説

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

                が45万部でスタートすることが2日分かった。

文芸春秋が明らかにした。初版は30万部だが、書店の注文が殺到し発売前に15万部の重版を決めた。

1994年刊の「スローワルツの川」を上回り、単行本では同社最多のスタート部数になるという。

新潮社発行の前作「1Q84」の初版は「BOOK1」が20万部、「BOOK2」が18万部で、各5万部を発売前に増刷。「BOOK3」は初版50万部で発売前に10万部が増刷された。


(産経新聞など)








posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 14:40| 東京 ☔| Comment(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする