2014年05月19日

渡辺淳一の死去 彼の女性遍歴と業績について




ずいぶんと彼は身体には気を遣っていたのに 亡くなる時は亡くなるんだなあ というのがジョニの、彼の死去への第一印象

現代の老人で寿命80歳はさほど長命とはいえないだろう



彼は前立腺がんを患っていたともいわれる


彼は死ぬのは怖かったのではないか


淳一が小学生のころ 死ぬのが恐ろしくて 夜中に隣りで就寝中の母の布団の中によく潜り込んだという
母はいつも 少年の手をぎゅーっと握りしめてくれたという


渡辺の健康の秘訣は

毎晩 就寝まえに 自身の全身の臓器に対してお礼を言うのだ と彼のエッセーで読んだことがある


腎臓よ ありがとう

大腿骨よ きょうも造血と骨の再生 歩行に活躍してくれてありがとう


ジョニの想像だけど こんな感じで全身の器官や内臓について 渡辺はぶつぶつ 思いを巡らしていたんだと思う

たくさんの臓器を思いついて感謝の念を伝えすぎて そうとう睡眠時間が短くなったのではないか



生と性への執念は凄かったようだ


札幌医大講師の職を投げ打って上京、渋谷の公園通りを見下ろす書斎で文筆業に専念したときには札幌から愛人も同伴だったようだ

同僚だった看護師をはじめホステスや女優など 

失楽園の映画化の際に 愛娘 伊地知萌子ともこの青学暴行レイプ事件で名を馳せる黒木瞳

や三田佳子との交際は公然の秘密だった

2009年5月に生出演した「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系)では、小川彩佳アナ(27)
にアプローチ

しかも淳一は下げチン

彼と交際した女性はみな不幸な坂を転げ落ちたのだ

黒木瞳も三田佳子も そう


銀座でも サゲチン伝説から 彼に近づくホステスは皆無だったようだ



2011年の東京電力の人災 原発事故による放射能汚染のとき
3月13日から 大阪のホテルに長期避難

文芸誌の彼の担当者が彼の所在を掴めずに苦労したようだ




特筆すべきことは 渡辺の著作は医学部学生にとって バイブルのようなものだった ということ

医師にあこがれる学生は彼の一連の著作に目を通し 医師の気分を味わうのだ
ジョニーもそうだった

「雲の階段」 「心臓移植」 「阿寒に果つ」 その他もろもろの随筆



医師免許を手にしたとたん 今度は彼の著作はまず読まなくなるようだ



彼の最近の容貌は

申し訳ないが 偏屈で頑固な性格がむき出し

とくに淳一の目つきがいやらしい
紀子さんの目と同列

そうとうひねくれて意地も悪そうだ


長きにわたり直木賞選考委員をつとめ
その間 候補作 すべてに毎回×をつけていたのは 有名な話

いちばんの被害者は東野圭吾ともいわれている


自分に続く作家を育てることよりも 僅かなことで難癖をつけ 作家の芽を潰すことを選んだ狭量さには今さらながら驚く

それくらいしか自分が才能あることをアピール出来る場がなかった ともとれる 




およそ人格者ではなかった印象を持つ



日本初の札幌医大和田医師の心臓移植の事件も

正義感からの告発 という意図は彼の小説からはまったく感じられない


むしろ 彼しか知り得なかった秘密を暴露したくてしようがなかった印象が強い



たいした女性遍歴もないのに自分はモテると勘違いする、鈍感で自信過剰な面もあった


恋愛の大家を気取った渡辺は 林真理子と同様 恋愛の経験不足を憶測でカバー、男女のアンジュレーションを表現する才能にも恵まれていた



彼の身体は滅んでもこの世に未練たっぷりで魂は出版社のあたりを彷徨っているのではないか








posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 15:33| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月07日

ロシア兵に暗殺された伊藤博文 外交上の理由で安重根の単独犯行に



安重根 といえば South Korea 南朝鮮では烈士にして英雄

自己犠牲ものかわにっくき日帝の初代統監伊藤博文を射殺した とされていたが


このたび 石像から銅像にgrade up されるみたいで・・



実際にはSouth Koreaにとって

安重根は伊藤を暗殺して日韓併合を加速させた愚かなテロリストだった

との醒めた評価も漏れ聞こえてくる


だがいちばんわたしが驚いたのは・・

真犯人はほかにいた ということ


ロシア兵狙撃の根拠

@ 伊藤の体内に残っていた二発の銃弾はフランス騎兵銃のもの(もう一発は肉をそいで対外に出ている)安重根は7連発ブローニング拳銃で 銃弾がちがう

A 安重は伊藤とは水平方向の駅のホーム上にいたが 銃弾は駅の二階の食堂から撃ち降ろしたもの

伊藤の右肩を砕いて右乳下に止まった銃弾と右腕関節を貫通して臍下(へそした)に止まった
銃弾は 高所から真下に撃ち降ろさないと不可能な銃創


B 日英同盟が結ばれ、日露開戦が予想より早くなり、そのためロシアは敗北した

ロシアは対ロシア謀略の中心人物が伊藤博文であると判断しており、裏切り者として復讐した




なんでもウリジンは南朝鮮 を旗印にする お国柄

握り寿司も朝鮮半島が源流だそうで




伊藤博文 を殺害したのもロシア兵でなくて 朝鮮人 のほうが

朝鮮や日本 ロシアにとっても好都合だった ということなのだろう

日本の外交文書や 伊藤博文の遺体検案書にも 銃弾の軌跡や銃弾の種類について何も触れられていない




(以下引用)




【伊藤博文暗殺の真相は? 載安重根の弾は命中しなかった】http://mshks1318.iza.ne.jp/blog/entry/3169137/

日露戦争終了直後の明治38年(1905年)11月17日、日本と大韓帝国の保護条約の方針が発表されると、韓国統監府が設置されることになり、伊藤博文が初代統監に就任しました。

この頃、韓国の民衆パワーは公称100万人の一進会に結集されており、「李朝政府の外交権を日本に委任せよ」と大規模なデモが行われていました。伊藤が赴任してきた日にはソウルの南大門に「歓迎」の巨大な幕が張り出されました。

伊藤は4年後の明治42年(1909年)10月、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家安重根によって狙撃され、死亡しました。現在、韓国では安重根は英雄となっています。

元九州大学大学院客員教授の若狭和朋氏は伊藤博文暗殺の犯人は安重根ではないと指摘しています。

氏によると伊藤博文には三発の銃弾が命中し、体内に残っていた二発の銃弾はフランス騎兵銃のものです。(もう一発は肉をそいで対外に出ている)安重根は7連発ブローニング拳銃です。まず、銃弾が異なります。伊藤に同行した貴族院室田義文も5発被弾し、犯人は安重根ではないと書き記しています。その内容の一部。

「駅の二階の食堂からフランス騎兵銃で撃った者がある。・・・右肩から斜め下に撃つにはいかなる方法によるも二階を除いて不可能である。そこは格子になっていて斜め下に狙うには絶好であった」

室田義文は伊藤公の遺体の処置に立会い、右肩を砕いて右乳下に止まった一弾と右腕関節を貫通して臍下(せいか/へそした)に止まった一弾を現任しています。ところが不思議なことに、検事の調書には室田が「騎馬銃」について述べた記録はなく、安重根を裁いたこうはん記録のどこにも「騎馬銃」の文字は出てこないし、遺体の処置に当たった医師の談話にも「騎馬銃」は出てこない・・・

若狭氏はここで外務省外交資料館の「伊藤公爵満州視察一件」というファイルに以下の記載があるのを指摘しています。

「・・・真の凶行担当者は、安重根の成功とともに逃亡したるものならんか。今、ウラジオ方面の消息に通じたる者の言うところに照らし凶行首謀者および凶行の任に当たりたる疑いあるものを挙げれば左の数人なるべきか」として25人の名前を記しており、安重根の名前もこの中にありますが、この25人は「韓民会」というロシア特務機関の影響下にある組織でした。

 つまり、安重根を犯人にしたてあげて外交的にも内政的にも幕引きにしたということです。ロシア特務機関がなぜ伊藤を狙ったかは若狭氏の記述は長いので簡単にいうと、日露戦争前に伊藤はロシアと協商を結ぼうとしていたものの、その後、日英同盟が結ばれ、日露開戦が予想より早くなり、そのためロシアは敗北した。対ロシア謀略の中心人物が伊藤であると判断しており、裏切り者として復讐したというものです。

よく言われているのは伊藤博文は日韓合邦慎重派で、日韓合邦に反対する安重根は伊藤を暗殺して日韓合邦を加速させたバカなテロリストだったというのがありますが、伊藤暗殺が日韓合邦の思惑の外であれば話はあってきます。少なくとも安重根の銃弾は伊藤には命中しなかったのは間違いないでしょう。彼はテロリストとしても成果は無く、韓国でいう義士としても成果は無かったわけです。











posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 14:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月16日

さようなら 堤清二





堤清二.jpg

文筆家 経営者 どちらとしても大きな足跡を遺して2013年11月に旅立った、堤清二

彼のアイデンティティの原点は、自分は妾の子 という負い目だった

子供のころ 近所の子らに囃したてられいじめられた とのちに述懐している


「茜色の空」に描かれた、リベラル宰相の大平正芳

彼の官界、政界に置ける東京商大卒 という傍流からの天下取り

堤の、大平を見つめる眼差しは温かい

堤清二が日本共産党員だったのも与党政治家、大実業家だった父への反発 がきっかけだったのは間違いない


彼の真骨頂は、自身が家庭を持ち、男の生理や本音を理解してからである


本当は資本家などかなぐり捨てて、ずっと作家 辻井喬でいたかったのではないか

常に悩み、迷い、周りの人たちへの配慮を重ねた堤清二には経営者としての冷徹な判断、リストラは無理な相談だった

彼が全財産を差し出してセゾングループの清算を決めた背景には、優しさゆえの優柔不断さ、弱者=従業員 への思いやりが複雑に絡み合っていたのではないか


遠い花火 book.jpg

辻井喬 自著「遠い花火」は筆者の半自叙伝である

主人公の島内源三郎に主張させる、

「人間の値打は人間としての力量や魅力で決まるものであり、身分、階級、出身地、あるいは肩書できまるものではない』

は 堤清二 本人の魂の叫びだったろう

彼は迷いながら一生 成長をつづけた、数少ない希有な思想家だったのかもしれない


優柔不断な実業家と モラトリアムな作家

そこに育ちのよさと 深い教養により修飾される、繊細な仕事が読者の一部にとってはたまらない魅力だったのではないか

破綻した堤義明を追い落とさなかったのも彼の教養のおかげである




彼はすべて無に帰する瞬間を ある意味待ち望んでいたのではないか

生に執着しないところもまた 堤らしい生き方だったと考える

彼が実母 岩崎ソノにやっと巡り合えたのは晩年になってのことだった


醸し出されるアンニュイで屈折した清二の世相観はもう誰も聴くことはできない




















posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 16:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする