2018年02月25日

ルーブルの逸話 シャルロットの「美しき暗殺娘」



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処刑直前にジャン=ピエール・ウーエルによって描かれたシャルロット・コルデーの肖像画 1793年

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マラーの暗殺 La Mort de Marat , Marat Assassiné

新古典主義最大の画家ジャック・ルイ・ダヴィッドによる歴史画の傑作

本作は1793年に起きたフランス革命を主導したジャコバン派の政治家ジャン=ポール・マラーが、対立するジロンド派の美しき擁護者にしてノルマンジーの落ちぶれた貴族、シャルロット・コルディに暗殺された場面を描いた作品 当時の最高権力機関である国民公会の依頼により制作


革命の指導者、マラー

彼はアトピー性皮膚炎だった
毎日 薬草風呂に浸るのが日課

そこに飛び込んできた謎の娘シャルロット・コルデー
髪を白いスカーフに包み、白いローブを身につけ。悲しげでやさしく美しい顔立ち

彼でなくとも無防備の全裸で彼女を浴室に招き入れそ

あわよくば・・なんて色気をだしたのがマラーの運のツキ

この包丁、ためらいなく、急所をまっすぐ貫いていた

一撃でマラー即死 その正確な殺し方は裁判でも注目されることに


「ちょっと手慣れすぎてないか、この殺し方何人も殺したんだろ?」
裁判中冷静沈着だったシャルロットだが裁判官の言葉に、さすがの彼女もキレたとか

シャルロット・コルディはその美貌から、シャルロットの「美しき暗殺娘」と呼ばれた

シャルロットの死刑について


最後は断頭台へと消えたが、その途上の彼女の儚さに恋した男性も多かった

処刑人ビクトルはシャルロット・コルディの首をビンタしたようだ
首にビンタするのをみて、さすがに観衆も大騒動になりビンタした人は殴り飛ばされてクビ

そのとき 刎ねられた首が断頭者を顔を真っ赤にして睨んだ といわれる

ま 死後硬直だろうけど










posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 20:11| 東京 ☀| Comment(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

いま私たちに必要なのは……《借り》を伝えていくことである。  (ナタリー・サルトゥー=ラジュ)

 

ジョニが眼科や形成外科の研修医のころ 研修二年目 あるいわオーベンの方がたいてい昼食はご馳走してくれた
たまに 『きょうはわたしにお昼代払わせてください』
と申し出ると

『ジョニ先生は払わなくていいんだよ 来年 ジョニ先生の下に研修医が付いたときに その人にお昼をおごってあげて』

と言われた


『借りはじかにではなく別の人、次世代に返せばいい 』と言う哲学者ナタリー

その言から ジョニの研修医時代をふと思い出した


(以下引用)


借りは、金銭的もしくは経済的な場面で使われることが多い語だが、それ以上に、恩や負い目という意味も含むもっと広い観念として

人と人を結びつけ、互いに足りないところを補いあう文化を培ってきた。養育をはじめとして、誰もがその存在を他者に、前世代に負う。

借りはじかにではなく別の人、次世代に返せばいいと哲学者は言う。「借りの哲学」(高野優監訳)から。

折々のことば:685 鷲田清一

朝日 2017.3.5 朝刊
posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 21:59| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

きょうは一葉忌


きょう11月23日は樋口一葉の命日
そう 五千円札の姫である


本名は樋口奈津 

自身の表記では 夏子

東大赤門の向い側の法真寺の隣に一葉は四歳から九歳までの少女時代を過ごした
一葉が生涯を通じて一番 経済的にも精神的にも安定していたころだ

そのささやかな幸せも長続きせず 一葉 17歳のときに父則義が死去
長兄はすでに病死 次兄は素行不良で勘当されていたため 母と妹の生活の面倒 いっさいは彼女の細い両肩にかかることに

一葉はそれからわずか七年の短い生涯に、生活苦から十数回も転居を重ねることになる


一葉は1890年(明治23年)9月から菊坂に住み、1893年(26年)7月に下谷竜泉寺町に移った
ここに住んだのは18歳から21歳の時期で、初恋の相手 著作家でジャーナリスト 半井桃水との交際が生じた頃にあたる


菊坂通りには一葉が通ったという伊勢屋質店の建物が現存する

一葉は竜泉寺町に移ってからも、またここから程近い丸山福山町に転居した後もこの店に足繫く通い、1896年(明治29年)11月23日、本郷丸山福山町で亡くなる


一葉の葬儀には伊勢屋の主人が香典を持って『生前はごひいきにしていただき・・』と弔った

あまた流行作家はいるが 質屋から香典をもらったのは彼女だけだろう


丸山福山町に住んだ1年6月は「奇跡の14か月」と呼ばれ
『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』など、珠玉の作品群を世に送ったが、肺結核により死去

24歳の若さだった

代表作のほとんどがこの場所から生まれた

自身の命を削って灯すように著作に注いだ一葉
後がない 死期が迫っていることを肌に感じながらの創作はさぞやスランプなどありえない、ある意味 集中できる時期だったのではないか

あくまでも仮定の話だが

亡父の決めた婚約者坂本三郎は出世を重ね 判事からドイツ留学後 第二次大隈内閣では秋田県、山梨県知事
を務め 数度 彼女にプロポーズしたことが 彼女の日記から判明している

もし三郎と結婚していたら 裕福で また違った趣の樋口文学の切り口が垣間見られたかもしれない

彼女の文体は長い文章 けり で終わる雅文体、擬古文とよばれるもの
一文が長いのが特徴

文章は読点(、)でずらずら続いていき、ジョニのブログみたいに句点(。)は用いない


現代は 医師が自分の受け持ち患者を結核で死なせたら医療ミスになってしまうが 遠き明治には国民病とも言われ 石川啄木はじめ正岡子規 など錚々たる文学者が落命している


生涯 生活に追われ働きづくめだった彼女の命日が なんと勤労感謝の祝日になろうとは 樋口ならずとも
なんとも皮肉なことだ












posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 13:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする