これで何回目だろうか
きょう4月7日の朝
また同じ夢をみた
10年以上にわたって ひょっとすると50回ちかく 同じ夢をみているかも
夢の内容は だいたい同じもの
ジョニの大学時代 日常の雑事にかまけて 学校に行かず 授業に出席せず
ふと学校のこと 単位のこと 授業の出席点のことが気になり大学へ
そこで級友に会い ノートをコピーさせてもらい
あまりの講義内容の進み具合に 驚き
このままでは 試験にとても合格しない
進級できない
うわ〜〜〜 どーしよう・・・
で だいたい 目が覚める
そもそも 出席が足りないと ペーパー試験の受験資格がない ということには 夢のなかでは わたしはいつも 気がついていないのだ
夢をみながら これは夢だろ って気づいている場合もあるし 最後まで 冷や汗かいて ドキドキしながら 気づかないことも多い
これは現実のことだったが
医師国家試験のときにも 毎日 麻酔が終わらない 公衆衛生が見終わらない
など 1日 26時間くらい勉強した
つまり 自分のたてた予定がおわるまで寝なかったので
同じファミレスに 早朝 夕方 深夜 と1日3回通ったこともしょっちゅうだった
翌日の早朝 また おなじ店に顔を出し 前日のウェイトレスがいたら気まずいなぁ とどきどきしたのを覚えている
自分の記憶力の限界を毎日 試される6年間だった
そのトラウマが いまだに癒えてないのだ と自分では解釈している
一生のうち これほどまで勉強したのは この6年間が 最初で最後だろう
今年2018年も3月19日に医師国家試験の合格者が発表になり 多くの研修医が病院に勤務する季節を迎えたが
合格者 ひとりひとりに それぞれ ドラマとともにトラウマがあるのではないか
2018年04月07日
2018年04月06日
きょうは東京都の公立小学校入学式
今朝 新宿駅に向かう途中、若い夫婦に伴われた、ランドセルを背負った学童を2,3人見かけた
桜はもう葉桜になったが きょうの出来事はほとんどの新入学の学童は終生 忘れえぬ思い出となるだろう
ジョニの小学校の入学式は 鉛色の雲の下 いわゆる花曇りで肌寒かった
校庭に 木の椅子が並べられていた
そこに座りっぱなしで ずいぶんいろんな人の挨拶やら 祝辞を延々と聞かされていた気がする
おしっこを我慢しながら 寒くて半ズボンで震える膝を抱えながら 「まだ終わらないのかなあ」と ぼんやり思っていた
それから クラスで集まり 校長先生 担任のイガラシ先生を真ん中にして 桜の木を背景に記念写真を撮った
その画像を見ると 見事に桜が満開
わたしは 坊っちゃん刈りで 途方に暮れたような 疲れきった表情をカメラに向けている
このころから 集団行動が苦手だった
やがて 教室へ 上級生に誘導されて入り 自分の机と椅子をあてがわれる
右隣りの同級生は 女の子、トリイケイコ
八重歯がのぞき目が大きくて 髪が天然パーマでくるくるした愛らしい顔立ち 背も高かった
彼女からのちに わたしのことが好きと 告られたが その後の詳細はまったく覚えていない
そんな入学式の前日 今年 2018年4月5日 に わたしの尊敬する知人の愛娘が急死
10か月まえから 歩いていて急に転ぶことが多くなって 大学病院で確定診断が出た
中枢神経系統の進行性の疾患
夜中に容態が急変し そのまま息を引き取ってしまったようだ
急遽 プロテスタントの礼拝 前夜式が通夜のかわりにきょうの夕方から執り行われるとメールが回ってきた
わたしは代診を捜して礼拝に参加したかったが 美容外科医の代診が見つからない
きのうのきょう の出来事だから 捜す時間がまったく足りない というのもあるし
美容外科医の業界で
医師の子息の小中学校のきょうの入学式に列席したくて 代診の医師を捜している医師が多くて 4月6,7日の医師の非常勤の求人が殺到
とても 午後からの代診なんてみつからないだろうという予想
だが さきほど 電話が人事担当からあり 午後4時からの かわりの医師がみつかったらしい
かわりの医師は2年前まで同僚だったI先生
ああ よかった
ただ 喪服は用意していないし スニーカー
黒ネクタイは百均で購入 白シャツは白衣タイプを流用 パンツはデニム
なんか悲惨な出で立ちになりそう
でも 最期の御見送り お別れができるなら それでいいや
ご両親にあったら なんて言う? かける言葉もないのだ
泣いてしまうかも
2017年11月10日
月収が 57万円 減っちゃった
医療法人の本部の いろいろな計算と清算を経て 今年10月からのジョニの毎月の給与の金額が決まり
今月下旬に振り込まれることになった
あと11か月はこのまま
前年度の給与よりも 毎月 57万6千円の減額
健康保険の費用節減になり クリニックには感謝している
やはり ANA ファーストクラスでの出張が影を落としているね笑