2019年06月04日
午後の診察室 赤ちゃんが来た!
蒸し暑くなって うっかりすると居眠りしそうな2019年6月4日 火曜日の午後
あーん あーん の赤ちゃんの泣き声が待合室にこだまして 目が覚めた
平成3年生まれのお母さんが脱毛しにカートで来院
生後6か月の女の子 生まれたときに3700gの巨大児だったらしい
妊娠糖尿病も疑われたが 出産後に血糖値はすみやかに低下
ベビーは おなかが空いたのか おむつが濡れているのか 母親がいなくなったのを察知したのか
もう20分は泣いている
生後6月を過ぎると 乳児は人見知りするようになるから
あと2人 こどもがほしい と母親は話していた
この子はきっと まわり中から祝福されての誕生だったのだろう
( ジョニは 歓迎されない赤ちゃんだったんだろうな )と ふと考えると 涙が出そうになる
生まれてきたことに感謝しろ 生きていることに感謝しろ とは言うけれど
わが母の、『私生児を産む』の決意にはただただ 父ならずとも驚き呆れるほかはなかっただろう
わたしの顔を見て ただにこにこしている彼女の、どこに秘められた強さがあるのだろうか
来週の休み、母に会いにゆこう
2018年06月11日
きょうのことば 里帰りをさせてあげたい
岡山大学 臓器移植医療センター長 大藤剛宏氏は 知られた生体肺の移植専門医
彼の移植チームが軌道に乗り始めた頃に 40代女性の脳死肺移植があった
彼女は「落ち着いたら旅行に行きたい」
「どちらへ?」
「北海道へ」
「カニが美味しいですね」
と言うと
女性は微笑んだ
「里帰りをさせてあげたいのです」
肺のドナーは北海道の人だったのだ
DOCTOR'S MAGAZINE 2018 6月号より 引用
なかなか ここまで配慮できる患者は少ない
というよりも いかにも日本人的な発想
脳死した人は 肉体が完全に死滅したわけではない
移植された女性の体内で 生 を紡ぎ続けるのだ
自身の子が脳死
その臓器を提供されて 元気になったドナーの患者のもとを
死んだわが子に会いに行く感覚で 毎年 会いに行く親もいる
これとて レシピアント側 移植を受けた患者や その家族の感謝と理解がなければ 受け入れられないだろう
2018年05月02日
小2のとき 入院したのを思い出した "déjà-vu"
きょう5月2日 水曜日 高校1年の女子のふたえまぶた のカウンセリング
「 平日なのに 学校はどうしたの? 自主休校したの? 」 と訊いたら
気胸になり入院 通常なら 管を入れて空気を抜くだけだが 彼女の場合 検査の結果 2週間 入院して肺の薄い部分を切除 7日の月曜日から 学校に行くようだ
「 たぶん 初日の登校の日 クラス中のみんなが きみの周りに集まってきて声をかけてくるよ その日だけね きみのことが珍しいから 」
彼女の話を聞いているうちに
ジョニ 小学校2年生のときに 3週間 入院していたことを思い出した
遠い過去のことで いつの季節のことかも思い出せない
運動会の予行演習で 50メートルの徒競走
となりのコースの同級生 中西クンと接触 もつれて転倒 左側頭部を地面に強打
地面に叩きつけられたとき その衝撃よりも 生まれて初めての "déjà-vu"
を体験したことが強烈な記憶になっている
結局 脳震盪で 小学校のとなりの病院に そのまま即入
入院した病院には小児科の病棟がないため おとなの患者と同じ病室に入れられた
痛くて眩暈めまい が止まらず ずっと号泣
緑色のりんごを1つ となりのベッドの患者のおじさんからいただいたのを覚えている
3週間後退院 母に付き添われての 登校
そのとき 同級生全員がジョニを囲んで いろいろ 声を掛けてくれた
昼休みには 女子のお誘いにのって ハンカチ落とし など 楽しい時間を過ごした
突然 自分がクラスでいちばんの人気者になれた気がした
だが
早くも翌日には それが幻想だったことを思い知らされた
次の日 クラスメートはジョニに無関心 だれもわたしに声を掛けてくれなかった
もちろん 昼休みにも ジョニのことは 放置プレー
あの 幼少のほろ苦い記憶が 彼女の話を聞いて よみがえってきた