2024年10月11日
きょうは母の誕生日
母にはずいぶん世話になった
ジョニも 彼女を喜ばせようと 小学生のときから勉強した
四谷大塚の全国模試で 1位になったときは彼女はとても満足そうだった
でも 麻布中や開成中は受験させてもらえなかった
授業料が高額だったのだろう
明日のお米でさえ買えるかどうか 心配になるほどの父の収入
ジョニ 道端にお金が落ちていないか 下を見て歩くことも
銀座で働けばあっという間にお金貯まる の知人の勧めも断り 中学卒業までジョニの世話に明け暮れた
ジョニのことが母の生きがいだったのだ
おかげで とうとう小学校から大学まで すべて公立校だった
私大医学部医学科を受験して 親のスネかじりの受験生を蹴落としてやりたかったが 受験料5万円ではそれもムリ
3年まえの暮れ、気腫性腎盂腎炎に DIC と 敗血症を併発して亡くなった母
彼女の心停止の警告音は 12月30日看護師との電話越しに聞いた
子供は母親を選べないけれど
もう一度 生まれてきても 同じ母の世話になりたい
2024年09月15日
土屋君のこと
土屋君のこと
小学校3年の夏休み明け
九州は佐賀からの転校生がやってきた
丸坊主で色白 タレ目 まあるい顔 芸人の木村祐一に似ている 白のカッターシャツ 黒の半ズボン
腰のベルトがやけに長くて 犬の尻尾みたいにぷらぷらしている
ふつうは転校生は緊張して 初めて教室に入り 黒板のまえに立つときは 顔はひきつっているものだが 彼はにこにこしていた
クラスの仲間ともすぐに打ちとけ 朝や放課後 彼とみんなでよく遊んだ
母ひとり子ひとり の ひとりっ子で 彼の投げるドッチボールのボールが重くて速かった
プールのお着替えの時 わたしが腰に巻いていたバスタオルを無理やり剥がして ジョニの全裸を教室中に披露された
だが3ヶ月後 突然 彼はまた転校することに
彼の母親がアパートで自死したのだ
この日はちょうど ジョニたちが遠足で駒沢公園などに出かけていた
みんなとの楽しい遠足の帰り アパートに帰ったらいきなり母親が死んでいた
数週間のあと 彼はクラスにお別れの挨拶をしに来た
『土屋君はおじさんに引き取られることになった』
と担任
遠足の日の夜は 土屋君はずっと泣きじゃくっていたらしい
クラスとのお別れの日、彼は無言で にこやかに笑っていた
9歳で いちばん頼りにしていた母親をなくした土屋君の心中はいかばかりだったろう
きょうの朝 デニムパンツを履こうとして ベルトがループから外れて長く垂れ下がっていて 土屋君を思い出した
2021年12月22日
KTM カツミの電気機関車
![]() KTM 電気機関車 なつかしいなぁ 久しぶりに納戸の奥から見つけた まだ5歳くらいの時に両親からクリスマスプレゼントで もらったカツミの電気機関車 もちろん 当時はサンタさんからのプレゼントと固く信じていた しばらくは布団の中まで引っ張り込んで寝た ずっと機関車を眺めてはうっとり 箱から出して遊びはじめてすぐに モーターが回らなくなった すぐに我が母が 池袋の玩具店に機関車を持ち込み修理を依頼 なんでサンタさんがプレゼントを購入したお店を母が知ってるのか ジョニはとっても不思議だった そういえば 毎年 プレゼントに同封されていたサンタさんからの『日本語』でのお手紙 いま思えば母の筆跡 ジョニがサンタクロースからの手紙を読むまえに 父は 『ジョニくんとサンタさんが約束したことを ちゃんと守るんだぞ』 など 手紙の内容をよく知っていた なんかヘンだなぁ とは思ったが プレゼントで遊ぶのに夢中で すでにそんなことは忘れていた 母は明日のお米を買うお金もなかったのに ずいぶん大枚をはたいて機関車を買ってくれたんだな としみじみ思う 月の生活費の半分以上の費用でなかったか 貧乏なのでジョニが受験した大学医学部は国立大学の一校のみ それで合格して あとは奨学金とカテキョーだけで医師になった 教科書はほとんど上級生からプレゼントしてもらった 高須克弥氏といっしょに働き始めたころ、わたしを見ていて 彼は『国立出身の先生は私大出のとぜんぜん違うね』と笑っていた 金銭感覚が庶民的で面白かったんだろ 本当は慶大医学部を受けたかったな すべり止めで 日本医科大学や順天堂に合格してみたかった ま いいか 自分のまわりの医師を見ていると 私大出身の医師の方が患者に親切な印象を持つ 国立大学出の医師は 秀才特有の冷たさがつきまとう いま 親ガチャという言葉がよく引き合いに出されるが 努力すればどんな風にでも人生は築いていけると信じる ANA国際線は他人の金だからファーストクラスに搭乗するが 日常の買い物はOKストアが多い 母は今年 2回危篤になった(続く) |