2017年03月05日
いま私たちに必要なのは……《借り》を伝えていくことである。 (ナタリー・サルトゥー=ラジュ)
ジョニが眼科や形成外科の研修医のころ 研修二年目 あるいわオーベンの方がたいてい昼食はご馳走してくれた
たまに 『きょうはわたしにお昼代払わせてください』
と申し出ると
『ジョニ先生は払わなくていいんだよ 来年 ジョニ先生の下に研修医が付いたときに その人にお昼をおごってあげて』
と言われた
『借りはじかにではなく別の人、次世代に返せばいい 』と言う哲学者ナタリー
その言から ジョニの研修医時代をふと思い出した
(以下引用)
借りは、金銭的もしくは経済的な場面で使われることが多い語だが、それ以上に、恩や負い目という意味も含むもっと広い観念として
人と人を結びつけ、互いに足りないところを補いあう文化を培ってきた。養育をはじめとして、誰もがその存在を他者に、前世代に負う。
借りはじかにではなく別の人、次世代に返せばいいと哲学者は言う。「借りの哲学」(高野優監訳)から。
折々のことば:685 鷲田清一
朝日 2017.3.5 朝刊
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拝金主義からの脱却を示唆し、心にしみじみきました。
こちらのブログはいつも、参考になります。
ありがとうございました。
逆に自分が人のあらさがししたり批判してる時こころがざわつきます・・
自分はどうあれ他の人の笑顔を見たいってのが人として大事だよなと。
最近ざわついてばっかりの心で精神的に疲弊してる自分に出会ってはっとしました。
人生への焦燥感でこころが乱されてる自分に気づいて、自分が他人よりもっと上に行きたい、物欲はじめいろいろな欲望を満たしたいからだよな〜とがっくり来ました。ちっさい自分。日々深呼吸して今の最低限の幸せをかみしめねば。
『借りの哲学』私も図書館で借りて読んでみます!
(予約は完了してるので早くとりに行かねば。)
若かりし昔 『うっそでい、このうえなく人は比較して優劣好きでしょ⁉』って 疑って ひねくれて捉えてた
長く生きてくると あぁ社会的地位や 経済的背景はあるものの
健康や (籠池さんみたく)後ろめたいことのない 穏やかな時間が
幸せの一要素かも と 想える
余裕の部分で 時間的 経済的 手間ヒマ を周囲へお裾分けできる
そんな 『大人の余裕』 について考えたりもする頃合いになった
ということか ← 眉を吊り上げ 声高に叫ぶより 静かな御手本に
← どんなに偉いと、、優位を感じたい相手がいたとしても 所詮
神様ではないから お知恵拝借したり ご相談申し上げたり お力を借りなけりゃいけないことが 長い人生には起きたりもする
← 実際 何度となく 周囲に助けられた ←負けず嫌いで かぶりつきの力業よりも 和をもって お互い様ねっ
『間違ってないだろ❗とかぶりつくこが困っててさ お前なら
助けてあげたいか❓ 人生は長いんだ 良いときばかりじゃない
困ってたら 助けてあげたい❗と思える人になりなさい それには
どうすりゃいいもんかね〜っ 考えてごらん』 教育の主軸を偏差値重視から 考えて問題解決力をつける方向にスライドさせてゆく
とニュースでみて久しいが 人を蹴落としてまで勝ち残る受験競争
社会よりも 住みやすい 犯罪の少ない社会を 期待したいわ〜っ
新社会人となり 旅立つ人 迎える人 『もう、まだ終んないの
何やってんだか!は〜っ』と溜息つかれるより 『皆っ仕事残し
ない❔こっち終わったから、こぼしあれば拾うよ!早く記録終らせて上がるよ!』と声かけのて頂き 『時間空いてたらご飯行く?』
と声かけて頂き『仕事の要領もだけどさっ上の性格把握して上手く
たちまわらなきゃ 最初から上手くゆかないけど大丈夫 仕込んで
あげるから笑 先輩の仕上がり良いでしょ⁉ 皆最初は一緒よっ』
あぁ この人についてゆこう❗と思った社会人になった卯月なかば
嫌な人いっぱい見たけど 有りがたい位いいお手本にも巡りあった