2016年11月23日
きょうは一葉忌
きょう11月23日は樋口一葉の命日
そう 五千円札の姫である
本名は樋口奈津
自身の表記では 夏子
東大赤門の向い側の法真寺の隣に一葉は四歳から九歳までの少女時代を過ごした
一葉が生涯を通じて一番 経済的にも精神的にも安定していたころだ
そのささやかな幸せも長続きせず 一葉 17歳のときに父則義が死去
長兄はすでに病死 次兄は素行不良で勘当されていたため 母と妹の生活の面倒 いっさいは彼女の細い両肩にかかることに
一葉はそれからわずか七年の短い生涯に、生活苦から十数回も転居を重ねることになる
一葉は1890年(明治23年)9月から菊坂に住み、1893年(26年)7月に下谷竜泉寺町に移った
ここに住んだのは18歳から21歳の時期で、初恋の相手 著作家でジャーナリスト 半井桃水との交際が生じた頃にあたる
菊坂通りには一葉が通ったという伊勢屋質店の建物が現存する
一葉は竜泉寺町に移ってからも、またここから程近い丸山福山町に転居した後もこの店に足繫く通い、1896年(明治29年)11月23日、本郷丸山福山町で亡くなる
一葉の葬儀には伊勢屋の主人が香典を持って『生前はごひいきにしていただき・・』と弔った
あまた流行作家はいるが 質屋から香典をもらったのは彼女だけだろう
丸山福山町に住んだ1年6月は「奇跡の14か月」と呼ばれ
『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』など、珠玉の作品群を世に送ったが、肺結核により死去
24歳の若さだった
代表作のほとんどがこの場所から生まれた
自身の命を削って灯すように著作に注いだ一葉
後がない 死期が迫っていることを肌に感じながらの創作はさぞやスランプなどありえない、ある意味 集中できる時期だったのではないか
あくまでも仮定の話だが
亡父の決めた婚約者坂本三郎は出世を重ね 判事からドイツ留学後 第二次大隈内閣では秋田県、山梨県知事
を務め 数度 彼女にプロポーズしたことが 彼女の日記から判明している
もし三郎と結婚していたら 裕福で また違った趣の樋口文学の切り口が垣間見られたかもしれない
彼女の文体は長い文章 けり で終わる雅文体、擬古文とよばれるもの
一文が長いのが特徴
文章は読点(、)でずらずら続いていき、ジョニのブログみたいに句点(。)は用いない
現代は 医師が自分の受け持ち患者を結核で死なせたら医療ミスになってしまうが 遠き明治には国民病とも言われ 石川啄木はじめ正岡子規 など錚々たる文学者が落命している
生涯 生活に追われ働きづくめだった彼女の命日が なんと勤労感謝の祝日になろうとは 樋口ならずとも
なんとも皮肉なことだ
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