2016年10月28日

大川小判決に県と市は控訴 これは教師による集団殺戮!


宮城県石巻市立大川小学校の津波訴訟で、県と市は控訴する方針を固めたようだ

誰のために? これ以上遺族を苦しめて 誰の利益になるのか

2016年10月27日 仙台地裁は下記 引用のとおり判決

だれがみても人災なのに 宮城県と石巻市は言い逃れに窮々

http://johnnydep.seesaa.net/article/263685868.html
2011年04月22日のジョニブログ記事 (NYtimes画像)〈人災 !〉大川小学校の学童誘導

生き残りの教師と生徒の証言は記録を抹消

学校の裏山は土砂崩れの恐れがあった

大川小学校に集まっていた高齢者住民には 裏山を生徒といっしょに登るのは困難


苦し紛れの 言い逃れを裁判で持ち出さざるを得ないほど 不利な状況


県と市は控訴する方針らしいから法的な責任も二審ではしっかり追及してほしい

(以下)http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161027_13028.html引用

<大川小訴訟>仙台地裁 判決要旨


大川小津波訴訟の勝訴判決を受け、顔を覆いながら仙台地裁を出る原告の遺族ら=26日午後、仙台市
拡大写真
 津波で犠牲になった石巻市大川小の児童の遺族が県と市に賠償を求めた訴訟の26日の仙台地裁判決の要旨は次の通り。

 【事実経過】
 大川小の教員らは地震直後、児童を校庭へ避難誘導し、保護者らが迎えに来た児童以外の下校を見合わせた。学校は海岸から約4キロ離れ、県の浸水予測では津波は及ばないとされていた。集まってきた地域住民の対応をしながら、ラジオ放送で情報を収集。午後3時半ごろまでに、従来と格段に規模の異なる大きな津波が三陸沿岸に到来し、大津波警報の対象範囲が拡大されたことを認識した。
 石巻市の広報車は、遅くとも午後3時半ごろまでに津波が北上川河口付近の松林を越えたことを告げて高台への避難を拡声器で呼び掛け、学校前の県道を通過。教員らはこれを聞いていた。
 教員らはこの直後ごろ、大川小から西に約150メートル離れた河川堤防近くの県道と国道の交差点付近に向け、校庭にいた70人余りの児童とともに移動を決め、同35分ごろまでに出発した。大川小には同37分ごろ津波が到来。教職員と児童は歩いている間に津波にのまれ、裏山に逃れた教員1人と児童4人が生き残った以外、全員が死亡した。

 【注意義務】
 広報車による避難呼び掛けを聞く前は、学校に津波が到来し、児童に具体的な危険が及ぶ事態を教員らが予見可能だったということは困難だ。この段階では県内に津波が襲来するという情報しか得ていない。裏山も土砂災害の危険はあった。
 だが、広報車の呼び掛けを聞いた段階では、程なく津波が襲来すると予見、認識できた。地震は経験したことがない規模で、ラジオで伝えられた予想津波高は6〜10メートル。大川小の標高は1〜1.5メートルしかなく、教員らは遅くともこの時点で、可能な限り津波を回避できる場所に児童を避難させる注意義務を負った。

 【結果回避義務】
 移動先として目指した交差点付近は標高7メートル余りしかなく、津波到達時にさらに避難する場所がない。現実に大津波到来が予期される中、避難場所として不適当だった。
 一方、裏山は津波から逃れる十分な高さの標高10メートル付近に達するまで、校庭から百数十メートル移動する必要があったが、原告らの実験では、移動は徒歩で2分程度、小走りで1分程度だった。斜面の傾斜が20度を上回る場所はあるが、児童はシイタケ栽培の学習などで登っていた。避難場所とする支障は認められない。
 被災が回避できる可能性が高い裏山ではなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した。教員らには結果回避義務違反の過失がある。



posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 12:02| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
裏山に逃れて 一命をとりとめた教員と児童に
NHKスペシャルや ETV特集辺りで番組製作を待ちたい
何故その様な結果になったのか❗
日頃の教職員らの人間関係は?
パワーバランスは?
情報の風通しや、校長や教頭の技量は?
細部に渡り取材してほしいものです。

四人の児童は忘れ様にも忘れられない記憶と体験。
どうか周囲は間違っても 『うちの子は亡くなったのに、あの子らだけ、、』等と ひねみに潰される事の無い様
健やかに伸び伸びと育ってほしい。
決して『なんで自分ばかりが生き残ったんだろ⁉』
等と思わせてはいけない。
←我子を亡くした哀しみの強さのあまり
逃げ仰せた教員や児童に、
もってゆきようのない哀しみをぶつけてしまう親が
70人もいれば、、、いそう、、、モンスターが、、、
イヤイヤ下衆な考えはこれくらいにして。

NHKで『あの時、私は』というスポットがある。
3、11の際 どういう状況 どう判断して行動したか!
インタビュー形式で構成されたもの。
民間のTV局が 『あの日』前後にしかわだいにしない今
今後も五十年、百年 続け❗と願う。
次世代にも その次の世代にも
←地震による津波を人類がコントロールできるまで
←それが被害にあった方に対するせめてもの償い。
←同じ過ちを二度と繰り返さない❗と誓い。
Posted by かずんち at 2016年11月02日 00:45
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