
文筆家 経営者 どちらとしても大きな足跡を遺して2013年11月に旅立った、堤清二
彼のアイデンティティの原点は、自分は妾の子 という負い目だった
子供のころ 近所の子らに囃したてられいじめられた とのちに述懐している
「茜色の空」に描かれた、リベラル宰相の大平正芳
彼の官界、政界に置ける東京商大卒 という傍流からの天下取り
堤の、大平を見つめる眼差しは温かい
堤清二が日本共産党員だったのも与党政治家、大実業家だった父への反発 がきっかけだったのは間違いない
彼の真骨頂は、自身が家庭を持ち、男の生理や本音を理解してからである
本当は資本家などかなぐり捨てて、ずっと作家 辻井喬でいたかったのではないか
常に悩み、迷い、周りの人たちへの配慮を重ねた堤清二には経営者としての冷徹な判断、リストラは無理な相談だった
彼が全財産を差し出してセゾングループの清算を決めた背景には、優しさゆえの優柔不断さ、弱者=従業員 への思いやりが複雑に絡み合っていたのではないか

辻井喬 自著「遠い花火」は筆者の半自叙伝である
主人公の島内源三郎に主張させる、
「人間の値打は人間としての力量や魅力で決まるものであり、身分、階級、出身地、あるいは肩書できまるものではない』
は 堤清二 本人の魂の叫びだったろう
彼は迷いながら一生 成長をつづけた、数少ない希有な思想家だったのかもしれない
優柔不断な実業家と モラトリアムな作家
そこに育ちのよさと 深い教養により修飾される、繊細な仕事が読者の一部にとってはたまらない魅力だったのではないか
破綻した堤義明を追い落とさなかったのも彼の教養のおかげである
彼はすべて無に帰する瞬間を ある意味待ち望んでいたのではないか
生に執着しないところもまた 堤らしい生き方だったと考える
彼が実母 岩崎ソノにやっと巡り合えたのは晩年になってのことだった
醸し出されるアンニュイで屈折した清二の世相観はもう誰も聴くことはできない