2012年03月22日

父の 死に目 に会いたかった






まだ風は肌を切る寒さだが、抜けるような青空の広がった20日の春分の日、ひとりで父の墓参りをした

手術用のゴム手袋にスポンジを持参 お墓を拭き清めて、買い求めた花束を手向けた


じつは父のことはあまり好きではなかった

ジョニーは父の晩年に愛人との間に生まれた

父が52歳、実母が25歳のときだ

母がジョニーを身ごもったとき、彼は堕胎するよう求めた

母が涙ながらに拒否、ジョニーはこの世に生を受けた

ジョニーには反抗期はなかったが この事実を知って以来、我が父のことはサイテーに思えた



だがジョニー自身がひととおり女性を経験し、修羅場をくぐりぬけてみると 実は父にとんでもない非情な振る舞いをしていたのではないか と思うときがある

母は「あんな不誠実でうそつきはいない」 といつもわたしに父のグチをこぼしていた

だが 父の思い出をひとつひとつ手繰れば、彼はわたしにつねに優しかった



彼がわたしと約束したことで それを守らなかったことは皆無だ

子供は自分のことをどれくらい大切に思っているのか 試すためだけに ずいぶん無理難題を親に吹っかけるときがある

父はそれを拒否したことはついぞなかった

ことごとく約束を実行してくれた

本妻とわたしの母との二重生活で ずいぶん彼の懐は火の車だったろうに


父が帰宅したときにパンツが裏返しになっているのを見つけた母が、父には何も言わず、ジョニーに「浮気はしてもいいが、下着には注意しろ」と忠告してくれたことも



ジョニーが小学2年生のときに校庭で左側頭部を強打する大怪我をして病院に担ぎ込まれたのだが

それから1日以上、彼の消息が不明だったことがあった

母は怒っていたが・・

事故の2日後から父は毎日欠かさずいろんなものを買ってジョニーの見舞いに入院先に来てくれた

ジョニーがそのときショートケーキを所望したら 父は 箱ではなく 紙袋に2こ横に寝かせてケーキを入れて持ってきて形がグジャグジャになっていた

その数日後 仕事で東京を後にするとき、父はジョニーが身につけていた小さな人形を借りていった

出張から戻ると その人形を返しにきた

毎日 わたしの身代わりに旅行中、肌身はなさず持ち歩いて人形に話しかけていたという



高校生になっても わたしのことは 坊や と呼んで はばからなかった




ほかにも愛人がいて遊びたかったろうに 母に頼まれて 幼いわたしの子守でせっかくの休日をふいにしたことも多かった

小学生のころ、いっしょに映画館に足を運び、予告編で男女のドロドロのベッドシーンが流れた

眉間にシワをよせて心配そうな表情で ジョニーと映画の画面を交互にチラチラ観ていた父
子供のジョニーには そのラブ・シーンよりも父の表情のほうがよっぽど新鮮な衝撃だった



彼は出張のあと かならず絵葉書をお土産に買ってきてくれた

都内の最高学府の法学部政治学科を卒業、大蔵省の官吏から政治家への道を志したものの、ひょんなことから挫折した父

たぶん わたしには 彼の見果てぬ夢の実現をめざして欲しかったのかな とも思う




わたしは高校のころ、毎日 ショパンのエチュードばかり弾いて勉強はあまりしなかった

父はわたしが音大のピアノ科に進学するのでは・・と憂えていたようだ


だがある日突然ジョニーはつまんない理由で医者になると決める

「医学部を受験するから」 と父に告げても、あいかわらずジョニーにはなにも言わない父



医学部の受験の前日、父が黙って湯島天神のお守りをジョニーに手渡してくれた

  ―  東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ

左遷され失意のどん底の 菅原道真に 父はその思いを重ねていたのか




遠隔の地の医学部に入学して、たまの帰省にも父には寄り付かず、ジョニーが会いにゆくときは 無心するときだけ

しかも 授業料や教科書代の二重取りまでした

父には全部わかってたんだろうな


大きくなったな といつもにこにこ うなづいていた父


なんで今ごろ こんなこと つぎからつぎへと思い出すんだろう

人前で泣いたことはないが いまジョニーは涙が止まらない



父の訃報を聞いたのは わたしが出張でペルーに滞在していたときだ



あぁ もっと親孝行しときゃよかったな

いっしょに海外に行きたかったな

一度くらい 声に出して ありがとう と言ってみたかった




晩年になっても毎日欠かさず ドイツ語と英語の会話をラジオで聴いていた父


7年前の夏の明け方、誰にも看取られずにひっそり逝ってしまった

親孝行 したいときには 親はなし  とは言ったものだ



いつか父親になったときに

亡くなったあとで たまには 息子に( あいつはいい親父だったな ) と思い出してもらえる、ジョニーはそんな父親になってみたい












posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 02:45| 東京 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
■無題
自分自身の『父親』に対する思い…ちょっと考えさせられました。ま、ウチの父親も亡くなってますが。
そして、その『父親』に対する『妻』である『母親』の感じ…ジョニーさんの母親にちょっと似ているかも。さらに、自分が結婚し人の親となり、『夫』に対する思いと、息子が『父親』に対する思いを考えた時、息子はウチとは違う受け止め方をしており、つくづく夫婦は他人であり、子供とは『血』が繋がっているんだと思う。
Posted by にゃんこ先生 at 2012年03月22日 05:11
■ジョニーさん・・
このブログ記事は、なんとも、せつないです。
でも、なんだか、あったかい です。

お父様・・政治家を目指していたのですね・・。
なんとなくジョニーさんも、そ血を受け継いでらっしゃるような・・・。
お父様の叶わなかった道を、目指してみるのも、遅くない親孝行になるかもしれませんね(^-^)/

子供にとっての親の存在って大きいです。
子を育ててみると、ますます実感しているところです。
Posted by Sachikoママ at 2012年03月22日 07:52
■無題
お父様にとって、ジョニー先生は、可愛くて仕方のない子供だったと思いますよ(*^^*)
どんなワガママも、きいてあげたい!叶えてやりたい!って思っていたのではないでしょうか。

ジョニー先生は、とてもお優しいので、将来、素敵な父親になるんじゃないかな〜(・∀・)
Posted by まさこ at 2012年03月22日 10:16
■無題
ジョニーはんは、離婚のない穏やか円満な結婚されたら落ち着きそうやね

格下婚(男が下)は離婚がやたらめったら多いし、ジョニーはんより格上の女はやめといたらええと思うで
Posted by ももんが at 2012年03月22日 16:19
■無題
先週IT経営者から愛人にならないかと迫られたばかりなので(そんなことを言われたのは昨年の既婚医師に続き、人生二度目(・_・;))この記事にはいろいろと深く考えさせられました。
Posted by mari at 2012年03月23日 01:19
■無題
いい父親になりたいっていっても人のこと整形整形いってるようじゃね...
Posted by 俺 at 2012年03月27日 14:42
良いお父様ですね。

うちは悲惨でしたよ。母に億近い借金背負わせて兄と私は母に押し付け、父は愛人と一緒になりました。母にDVして歯をへし折るなんて小学生時代に鮮明に覚えてる。目のあざも、口角の血液も。

中学校時代に最後に父に会って以来音信不通。もちろん慰謝料養育費ゼロ。母はボロボロになるまで働きましたし、我々兄弟も未だに闇を抱えてます。だから、不倫は絶対許せません。40近い今でも憎しみしかないですよ〜センセーが羨ましいです。
Posted by at 2017年08月07日 21:41
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