2012年02月05日
〈書評をコメント〉歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵 渡部良三〈著〉
かつての大戦中1944年春、中国大陸での八路軍中国人捕虜の刺殺を命じられた一兵卒 22歳のクリスチャン渡部良三
〈血と人膏(あぶら)まじり合いたる臭いする刺突銃はいま我が手に渡る〉
「殺すこと勿れ」
内なる声は母親の声か あるいは神からの天の声だったのか
〈鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ「虐殺こばめ生命を賭けよ」〉
俘虜を生きたままにすると、やがて自軍の兵の命を脅かす火種となるのは上官には判りきっていたのだろう
〈「捕虜殺すは天皇の命令」の大音声眼(まなこ)するどき教官は立つ〉
彼が自身の良心により殺戮を拒否したため、以来ずっと軍上官からの凄惨なリンチに耐えた
〈三八銃両手(もろて)にかかげ営庭を這いずり廻るリンチに馴れ来〉
紡いだ短歌を衣服に縫いこんで帰国、ほぼ70年後に上梓したもの
これほどの間、沈黙を守ったのは「汝、殺す勿れ(なかれ)」の教えを戦友には説かなかったこと、日本軍の強姦、略奪、殺人を制止できなかったことを悔いていたため という
自己の良心から交戦中のアメリカ兵の射殺を回避した、大岡昇平の『俘虜記』を思い出させる
・・・私は溜息し苦笑して「さて俺はこれでどっかのアメリカの母親に感謝されてもいいわけだ」
さて、下記のとおり、上丸洋一による書評では『次代へ語り継がれなければならない』らしいが、ジョニーはそうは思わない
筆者、渡部がこの短歌集を世に送り出したのは、このような生き方も選択できるのだ という この世に生きた確たる証(あかし)を遺しておきたかっただけ のような気がするからだ
彼の物語はいわばドキュメントであり、『日本の帝国主義と中国への侵略』に個人レベルでは抗えないという無力感
この歌集は個人の内省レベルでいかに自軍の中国人虐殺を納得しなければならなかったか を記したものにすぎないのではないか
書評に言う『本書刊行の歴史的意義は大きい』とは、評価された渡部本人が過大評価に恥じ入るに違いない
(朝日新聞編集委員 上丸洋一による書評 2012.2.5)
・・・稀有の人間記録である。日本がかつてアジアを侵略したこと、その軍隊で渡部の「小さな抵抗」があったこと。これらはともども次代へ語り継がれなければならない。
本書刊行の歴史的意義は大きい。
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