2011年02月16日

渡辺淳一を直木賞作家にした、〈殺人犯〉和田寿郎が死去

2人の青年を自分の名声のために殺した和田寿郎(わだ・じゅろう)、
札幌医科大病院で1968年に日本で初めての心臓移植を行い、その是非を巡って強い批判も浴びた元札幌医科大教授が14日午後1時30分、肺炎のため東京都内の自宅で死去した 88歳だった

68年8月8日、海でおぼれた大学生の山口義政さん(当時21)の心臓を、心臓弁膜症と診断された宮崎信夫さん(当時18)に移植した心臓移植は、世界でも30例目

移植から83日目に宮崎さんが死去

その後、宮崎さんの心臓病は本当に移植をしなければならないほど重症だったのか、山口さんは本当に脳死だったのか、といった疑問が大学内部からも噴出した

同年、殺人の疑いで告発されマスコミ報道は、称賛から批判に転じた

このあたりの“疑惑の経過”を『小説・心臓移植』(1969年3月、後に『白い宴』と改題)で発表し“内部告発”したのが、当時和田の在職していた札幌医科大病院の整形外科講師、後の直木賞作家、渡辺淳一だ

渡辺はこの小説を世に問うたために大学を追われ、上京して文筆活動を始めることになる

いわば和田は渡辺淳一の“恩人”なのだ
ジョニー的には 和田の心臓移植の唯一の功績は 渡辺淳一を文壇に送り出したことだけ
小説「ダブル・ハート」を読めばだれでも抱く疑問
山口さんは本当に脳死だったのか

(以下引用)
1968年8月8日午後6時
山口さんの容態が安定しているのを見届けて、担当医師は帰宅した。

野口病院 勤務医の証言
・ 山口さんは運ばれてきた時、すでに自発呼吸をしていた
・ 点滴の血管の確保と酸素マスクだけで十分な状態だった
・ 聴診器を当てても肺に水が入っているような音は聞こえなかった
・ 血圧は安定していた
・ 瞳孔の収縮が見られ、良い方向に向かっていた

当時、札幌医大で麻酔科助手をしていたN医師は、溺れた患者を手術室に入れたのを見て、非常に奇異に感じたといっている。 

溺水者が運ばれてきた場合、人工呼吸は麻酔科がやるのが常識なのに、麻酔科に話がない時点でおかしいと思ったという。

また、溺水患者に行う基本的な処置(気管を筋弛緩剤で麻痺させて人工呼吸のための気管内送管を行う)は、麻酔科の仕事であるため、別の麻酔医が手術室へ入って処置を行おうとしたところ、「おまえは、向こうへ行け!」と、胸部外科の医師たちに追い払われてしまったという。
く「疑惑の和田心臓移植」引用

誰がみても、心臓弁膜症の宮崎さんの容態が安定しているときに絶好のタイミングで、網に引っかかった生贄、それが疑惑の脳死判定をうけて心臓を和田に盗まれた山口さん

刑事裁判における陪審員制度がこの当時あれば和田は殺人罪で有罪になる可能性は充分あった

あるいは検察審議会で2回の起訴相当の議決により、強制起訴 という取り決めがあれば和田は当然、殺人罪で強制起訴されていただろう

渡辺淳一のコメントが夕刊に見当たらないのが気になる
posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 01:13| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 医学・生理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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