2017年07月04日
巡礼路ドライブの旅 番外編A Porto (ポルトガルのポルト)観光
ポルトはポルトガル北部の港湾都市 人口約263,000人。リスボンに次ぐポルトガル第二の都市
14世紀から15世紀にかけての大航海時代、ポルトで生産された船団は、ポルトガルの海軍の発展に大いなる貢献をした
ジョニの好きなポートワインの原産地
18世紀から19世紀にかけて、ポルト港から特産ワインがイングランドに盛んに輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になった
マンゴージェラードをかじりながら
1204 5/17 Clerigos Tower クレリゴスタワーへ
Clerigos は旧市街にあるバロック様式の教会 18世紀、イタリアの建築家ニッコロ=ナッソーニにより建造 高さ76メートルの塔は市のシンボルとして親しまれている
1996年、ポルト大聖堂、ボルサ宮殿、サンフランシスコ教会などがある旧市街が「ポルトの歴史地区」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された
1220 5/17 Cais da Ribeira 川っぷちをふらふら
1223 5/17 Ponte Dom Lois I 橋へ 遠くから眺める この橋は旧市街の世界遺産に含まれる
ポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区を結んでいる ギュスターヴ・エッフェルの弟子の一人、テオフィロ・セイリグが設計し、1881年から1886年の間に建設された
エッフェルはポルトにある別の橋、マリア・ピア橋の建設に携わっていた 1886年10月31日、ポルトガル王ルイス1世が出席して開通式を迎えたため Ponte Dom Lois I 橋と命名された
1229 5/17 ボルサ宮Palácio da Bolsa まえを通りすぎる
1254 5/17 Porto Cathedral
市内で最も古い建造物であり、ポルトガル国内で最も重要なロマネスク様式建築の一つ
現在のポルト大聖堂はフーゴ司教の後援のもとで1110年頃に建立が開始されて13世紀に完成
1505 5/17 São Bento ベント駅 アズール壁画が有名
1505 5/17 São Bento ベント駅 もちろん列車も発着する
(Time Line)
1005 5/17 Peninsula 朝食会場へ JAP2人
1119 5/17 Peninsula 440をチェックアウト 荷物預けるも 管理体制まったくなってなくて不安
1204 5/17 Clerigos Tower クレリゴスタワーへ
1208 5/17 5E 登る
1220 5/17 Cais da Ribeira 川っぷちをふらふら
1223 5/17 Ponte Dom Lois I 橋へ 遠くから眺める
1229 5/17 ボルサ宮Palácio da Bolsa まえ
1245 5/17 São Bento ベント駅まえを通過
1254 5/17 Porto Cathedral へ
1303 5/17 Cathedral の中へ
1310 5/17 Cathedral 廻廊をチラ見
ポルトガル時間1251 ショッピングモールVIA CATARINA駐車場を出る
1414 Peninsula ホテルを出てサラマンカSalamancaへ
1530 5/17 1697.5km 高速道ガススタンドでランチとトイレ
1540 5/17 出発
1640 5/17 Espanha 入国 給油
2013 5/17 El Cruce到着チェックイン うるさい部屋 満室だから部屋の変更 断られる
T4の到着階 ホテルストップの手書き地図を書いてもらう
Crowne ホテルに到着
2100 5/17 OKレンタカー 無傷 満タンでdrop off 終了
黒VUITTON車内に落とした?
2420 5/17 El Cruce 102で就寝
巡礼路ドライブの旅 番外編@ カーナビがぶっ壊れた!? Porto (ポルトガルのポルト) - Camino de Santiago 2017.5
ジョニ Santiago de Compostella サンチャゴ デ コンポステーラ から Porto (ポルト)に向かう途上
カーナビがとうとう壊れた と深刻に受け止めていた
カーナビのPorto 到着予定時間が 現在の時刻よりも早くなっていたから
つまり いまの時間より20分以上まえに Porto 到着してるよ とGARMINのカーナビは表示していたのだ
翌日は Porto から スペインの Madrid まで 一気に戻るのに ナビが壊れていたらクルマを運転できない
結局 ポルトガル領内の高速道の電光掲示あ板の時間表示を見て 納得
ポルトガルとスペインでは 時差が1時間あったのだ
スペインの 午後6時は ポルトガルで 午後5時だったのだ
警官に断り 車を繁華街のメインストリートに路駐させたまま きょうのホテルへチェックイン
名前ばかりの カビ臭いサイテーのホテル
ポルトの中心部のショッピングモールの駐車場の5階へ 駐車 となりが洗車場で かなり広いスペースだった
ポルト市内がなぜかバンコクのカオスを思い出させるような猥雑で 人で溢れる街だった 意外な発見
走行距離 1572.4km
ホテルの廊下で 4匹目の バリアードをゲット
岩崎名美 15歳で豊胸手術
巡礼路ドライブの旅 No.18 終章 Monte de Gozo(モンテド ゴゾ 歓喜の丘) - Camino de Santiago 2017.5
巡礼路ドライブの旅 No.17 再び Santiago de Compostera (サンチャゴ デ コンポステーラ)- Camino de Santiago 2017.5
2017年5月15日の深夜11時近くに ホテルに入ったため
第4日目 2017年5月16日 Santiago de Compostera (サンチャゴ デ コンポステーラ)の観光からスタート
1200 5/16 Hotel Praza Quintana 208 をチェックアウト
総走行距離 1250km
まず ホテルの目の前 大聖堂の裏側にあるキンターナ広場
巡礼路のゴールに着いて キンターナ広場の石段に腰を下ろし、ニコニコしていた女性の二人連れ
左の女性のリュックには 巡礼のシンボル ホタテ貝
残念ながら 大聖堂は お直しちゅう オブラドイロ広場には世界中からの観光客と クリスチャンたちが集結
交差廊の南側、プラテリアス広場に面している銀細工の門のまえ 大聖堂の中に入るための行列
中央祭壇Altar Mayor 17世紀後半に造られたチュリゲラ方式 この画像を拡大すると
聖ヤコブ スペイン名で サンチャゴ が祀られている
祈りの場である
大聖堂内部も修復中 オブラドイロの正面入り口と思しきあたりに辿りつけば、栄光の門(Portico de la Gloria)と言われる玄関ゲートが画像のように 覆い隠されている
拝廊と呼ばれる部分から身廊にはいる境
12世紀末の名匠マテオの作品でエッサイの木に見立てた柱にある、聖ヤコブが瞑想している彫像は見られない
聖ヤコブの柱の上部には半円型のいわゆるティンパヌム(tympanum)が据え付けられ、その中央にキリスト、4人の福音書記者、さらにその縁に黙示録の24人長老が彫り込まれていることが 上の画像 覆っているカバーにプリントされている画で判る
中央祭壇Altar Mayorの左横に地下礼拝堂Cripta への階段が続く
ここから地下礼拝堂に入る
聖ヤコブの棺 小さな柩 ずいぶん小さい人だったのだろうか
交差廊の南側、プラテリアス広場に面している扉は 銀細工の門 Puerta de las Platerias
と呼ばれ
キリスト受難の様子 が刻まれている
プラテリアス広場の、星を掲げる女神の噴水 女神の足元には4頭の馬の像
キンターナ広場に面し、聖年の年にしか開かない聖なる門(免罪の門)
1611年に創建、巨匠マテオが預言者像を造った この門が開くのは 7月25日の聖ヤコブの日が日曜日と重なる聖なる年だけ 確率は 7年に一度だね
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学はスペイン有数の大学のひとつ
ガリシア地方で最も伝統ある大学でキャンパスはサンティアゴ旧市街を挟み南と北にある サンティアゴは宗教都市であり、観光都市でもあり、また学生の街で、州行政の中心でもあるという異なった顔を持つ街
オブラドイロ広場にも出没
スペイン、ポルトガルでよく見かける、大道芸人 浮遊術 トイレに行くときはどーするんぢゃ?ん?
キンターナ広場の、抜けるような青い空を真っ二つに切り裂いて 飛行機雲が伸びてゆく
さあ Monte de Gozo 歓喜の丘に行こう
巡礼路ドライブの旅 4日目 Santiago de Compostera(サンチャゴ デ コンポステーラ)から Porto (ポルトガルのポルト)- Camino de Santiago 2017.5
第4日
いままで3日間で 1250km レンタカーで走破した
きょうはイベリア半島西端をひたすら南下 228.5 km 2時間30分 と予定していたが カーナビ GARMIN に騙され笑 お約束の高速道路Uターンをやらされた
Santiago de Compostera(サンチャゴ デ コンポステーラ) → Monte de Gozo(モンテド ゴゾ 歓喜の丘)→ Porto(ポルト)
2017.5.16 TUE
(備忘録)
07:20 5/16 Hotel Praza Quintana 208号室 起床
0730 5/16 208号室で3匹目のバリヤード ゲット
0800 5/16 朝食
1200 5/16 Hotel Praza Quintana 208 をチェックアウト
1250km
1220 5/16 San Ciemente Parking 会計おわり10E VISA smbc
1416 5/16 San Clemente P を出る
1502 5/16 Monte de Gozo を出る
5/16 10.05E 高速 レシート三枚間違えて往復
5/16 親爺ポイントVISA 高速 8.65E
給油 1460km
ポルトガル時間1741 5/16 Peninsula hotelへ
1833 5/16 Dia Catarina Parking へ
1856 5/16 Mmma Maria ジェラード2E
夕食 Praza Quintanaのlunch basket クロワッサン プリン ヨーグルト
1910 5/16 Peninsular 440にチェックインカビ臭くて客も貧相 すべて汚い
2430 5/16 バスタブに浸かり就寝
巡礼路ドライブの旅 No.16 Santiago de Compostera (サンチャゴ デ コンポステーラ)- Camino de Santiago 2017.5
Santiago de Compostera サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつでもあり、世界遺産に登録されているCamino de Santiago サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地
ガリシア州の政治の中心であると同時に、宗教的には大司教座が置かれている。旧市街は1985年にユネスコ世界遺産に登録された
Palas de Rei (パラス ド レイ) からSantiago de Compostera (サンチャゴ デ コンポステーラ)
移動距離 71km 65分のドライブ
到着時間 2017年5月15日 午後10時に駐車場のSan Clemente に着いた
あっさり記したが 実はサンチャゴ旧市内は自動車の乗り入れが禁止されている
で 予約した、旧市街にあるホテルから近い駐車場をあらかじめ見つけておいたのだ
泊まったホテルは 旧市内の中心地 サンチャゴ大聖堂の真裏だった
日本から持参したカーナビには ホテル近くの駐車場の場所をインプットしておいた
さすがに 群青色に空は染まり 遅い初夏の夜になっていた
ホテルは サンチャゴ大聖堂の真裏 ライトアップされた塔が普通に荘厳で美しい
さて 今夜のホテルが驚くことばかり
まず 先客が手間がかかり ジョニが40分以上待たされることに
それから ロビー横に コンビニにあるような 巨大なガラス張りの冷蔵庫が3つ並び ヨーグルト プリン
オレンジジュース ミルク ダイエットミルク 野菜 バナナ リンゴ などがぎっしり
これ すべて いつでもホテル宿泊者は食べてよい とのこと
そのほか ホールのケーキが2種類 食パン ハム ソーセージ チーズ ジャム にドリンクバー
すべて 無料で いつでも食べ放題
待たされている間にジョニ 満腹に
行間も埋まったことだし 今晩はこのくらいで
巡礼路ドライブの旅 No.15 Palas de Rei (パラス ド レイ) - Camino de Santiago 2017.5
巡礼路ドライブの旅 No.14 Lugo(ルーゴ)- Camino de Santiago 2017.5
ルーゴは、スペイン北西部ガリシア州ルーゴ県の県都
山で囲まれた盆地に位置しており、近くをミーニョ川が流れる 旧市街を取り囲むローマ時代の市壁が世界遺産に登録されている
O Cebreiro (オ セブレイロ)→ Lugo (ルーゴ)
は 71.5km 車で 45分
到着時間 2017年5月15日午後7時37分
ほんとうはもう時間がないので ここはパスするつもりだったが たまたまPalas de Rei (パラス ド レイ)への通り道になっていたのだ
このローマ時代の市壁は 一目みれば 決して忘れない、巨大なオブジェとなって市民のジョギングの場となっている
城壁の上は歩けるようになっているのだ
Lugo (ルーゴ)3世紀終わりから4世紀始めのローマ帝国時代に、現存する市壁が建設された
ルーゴはローマ時代以降は廃墟となり、中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったが 1129年、ロマネスク様式のカテドラルの建設が始まり、14・15世紀頃(c. 1300年-1500年)には、サンティアゴ・デ・コンポステーラと同じ巡礼の中心地となった
画像の中心 赤い掲示板のすぐ右にはみ出して駐車されてるメタリック グレイの車が ジョニの自動車 わかるかなー?
画像 はるか遠く ツインタワーが1129年に建設の始まった、ロマネスク様式のLUGOカテドラル
けっこう時間をかけてみて回った 最後はここから地上に降りてきた
次の目的地は
Lugo (ルーゴ)から Palas de Rei (パラス ド レイ)へ移動 最終目的地Santiago de Compostera (サンチャゴ デ コンポステーラ)はもすぐそこだ
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巡礼路ドライブの旅 No.13 O Cebreiro(オ セブレイロ) - Camino de Santiago 2017.5
Villafranca del Bierzo (ビリャフランカ デル ピエルソ)→ O Cebreiro (オ セブレイロ)
移動距離 32.8km 25分のドライブ
オ・セブレイロはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のうちでも胸突き八丁の 苦しい最後の難関となる
クルマで高速道路を走っていても勾配がキツくなっていく
ジョニの車のフロントは虫が衝突した痕跡がビッシリ付着する
小高い丘のうえにあるこじんまりとしたセブレイロ峠のシンボル サンタ・マリア教会
内部は新しく 機能的にまとまっている印象だが 実は創設はなんと9世紀
かつてこの教会で司祭を務めていたイリアス・バリーニャ神父は、サンティアゴ巡礼路を復興した人物として知られている
9世紀ころに始まったサンティアゴ巡礼は、近世の黒死病、戦乱などで、長らく衰退していた
復活したのは20世紀の半ば、イリアス・バリーニャ神父が巡礼路を整備、復活させ その目印として黄色い矢印を路面に記して行ったことによる
そんな歴史ある、まさに巡礼者に縁のある教会のようだ
土産物店が数店舗 どこの店も 村の特産物が 所狭し と並べられている ひょうたんや木の杖も置いてある
人口30人の村の規模の割は飲食の店が10軒ほど お昼時 どの店にもそこそこ客が集う
足元の道路わきは 駐車スペースにびっしり車が停められ ジョニ 空き場所を見つけるのにちょっとだけ苦労した
再び高速道路で移動
O Cebreiro (オ セブレイロ)から ローマ時代の城壁がそんまま保存されている街 Lugo (ルーゴ)へ移動
巡礼路ドライブの旅 No.12 Villafranca del Bierzo (ビリャフランカ デル ピエルソ) - Camino de Santiago 2017.5
Ponferrada (ポンフェラーダ)→ Villafranca del Bierzo (ビリャフランカ デル ピエルソ)
移動距離 25.3km 20分のドライブ
到着時間 2017年5月15日午後5時24分
巡礼路の旅も第3日 Villafranca del Bierzo(ビジャフランカ・デル・ビエルソ)から最終目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラまではちょうど100km
Ponferrada (ポンフェラーダ)から高速を利用して30分 山道が険しくなっていく
813年の聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の墓の発見後、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼がキリスト教徒の間で広まる
サンティアゴ巡礼路を行き交う巡礼者をサポートするための、特権を付与された場所の整備が始まり、バルカルセ川の狭い谷の手前にある、このビリャフランカ デル ピエルソに宿場町が建設された
中世の面影が色濃く残る街ビリャフランカ デル ピエルソ
ビリャフランカ デル ピエルソのROUND ABOUT のモニュメント
千年変わらぬ、ひょうたん と ホタテ貝を身に纏う巡礼者
Convento de los Padres Paúlesというビジャフランカ・デル・ビエルソの修道院だったが GOOGLEの情報では 現在は巡礼者のための宿泊施設に供されているようだ
さて Villafranca del Bierzo (ビリャフランカ デル ピエルソ)から お次は O Cebreiro (オ セブレイロ)へ移動