2017年07月01日
浅田舞 豊胸してますよん
読者からのコメントで最近『浅田舞が豊胸手術しているか 診断しろ』 のリクエストが多い
浅田舞は豊胸してます (キッパリ)
浅田舞 豊胸を完全否定してるけどね
浅田舞 AKB Xライン
一目 この画像を診れば浅田舞が豊胸手術を受けたことは判る むしろ 主治医がだれか が同業者の最大の関心事
ジョニーの関連のクリニックで豊胸されたグラドルの皆様 ご安心ください
口が裂けても他言はしません
浅田舞 AKB テニスボール 左乳房 横乳画像 ) でなくて Dになっている
豊胸プロテーゼのまんま
コントロール
コントロール 桐山の右の乳房 鏡餅みたいなプロテーゼの形がさらに鮮明になっている
側面から認識できる、桐山の豊胸プロテーゼの形状が「)」ではなく「D」であることに注意
I のラインが大胸筋レベルと豊胸プロテーゼを分ける境界線
豊胸手術の原幹恵
原幹恵の豊胸プロテーゼのバストの形状が )ではなく D であることに注意
自然乳では Dにならない
浅田舞 ワキ切開線修正の痕跡 浅田舞の右ワキ 消しゴムで 擦過したようなトレースの跡がわかるでしょ
こんなに目立つ 修正は珍らしい よっぽど ワキの挿入切開線が酷かったんでしょ
でわ どのくらい修正しないと目立つのか
こんくらい
浅田舞 豊胸手術の右切開線 かなり目立ちます そして どーして こんな画像がネットで出回ってるんでしょ
浅田舞の切開線 ふつうなら 3.5cm の切開線の長さなんだが 主治医はなにをしたかった? 浅田舞のワキ切開線の長さは5cm以上ある
巡礼路ドライブの旅 No.5 Estilla Lizarra Navarra(エスティーリャ) - Camino de Santiago 2017.5
Puente la Reina (プエンテ ラ レイナ)→ Estilla Lizarra Navarra(エスティーリャ)
は 22.1 km およそ20分の道のり
エステージャは、スペイン語で「星」を意味していて、ここは「星降る町」と呼ばれる街
現在人口13000人程のこの町はEga川の脇にLizarra(Estella)と呼ばれる小さな村落があり、キリスト教徒に依る国土回復戦争(Reconquista)の進展に連れて人手不足になり
11世紀にはナバラ王Sancho Ramirezはフランスからの入植を呼びかけて、ここの住民に特権(Fuero)を
与えSantiagoの巡礼路と共に発展して12世紀にはNavarra王国の首都として栄えた
訪問日時:2017年5月14日午後3時頃
Puente la Reinaの橋に似たロマネスクの橋が在り巡礼路はこちらに続いて、Estellaの旧市街に入っていく
この石畳の道が巡礼者をサンチャゴまで導くのだ
ロマネスクの橋近くに駐車 人口1万3000人とはとても思えぬ静けさが支配する町
巡礼路ドライブの旅 No.4 Puente la Reina (プエンテ ラ レイナ) - Camino de Santiago 2017.5
パンプローナ からPuente la Reina (プエンテ ラ レイナ)までは23.6km 20分のドライブ
訪問日時:2017年5月14日午後2時32分頃
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路はフランス側から道が続いている(この地図の右端)
そのフランスの道からスペインへと入る際にピレネー山脈を越える峠 イパニェタ峠とソンポルト峠 の2つ どちらかのルートをかならず通るのだが
その双方のルートはこの「プエンテ・ラ・レイナ」で合流する
iPad mini4でも こんなに美しい画像が撮れる ジョニ 最初にガイドブックでこの橋に興味を持った
ぜひ訪れてみたかった街だ
11世紀にナバーラ王妃(サンチョ3世妃ムニアドナ、またはガルシア3世妃エステファニアとも)が橋の建立 それ以来 千年以上 巡礼者たちを渡し続ける
牛が鳴き 小鳥がさえずる 牛糞の匂いまで漂ってきて 千年まえからの変わらぬ街のたたずまいを感じる
街の中心を通るマヨール通りはその巡礼路にあたり
通り沿いには巡礼者も祈り、休息を取ったであろうサンティアゴ教会も佇むが 今回はパスした
街じゅう いたるところに 巡礼のシンボル ホタテ貝が見られる
巡礼者のカップル
さあ 急いで次の目的地 Estilla (エスティーリャ)へ
巡礼路ドライブの旅 No.3 Pamplona (パンプローナ) - Camino de Santiago 2017.5
San Sebastian(サン・セバスチャン) → Pamplona (パンプローナ)は 84.3km 車で1時間
訪問日時:2017年5月14日午後1時30分頃
Pamplona (パンプローナ)といえば 牛追い祭り
スペイン政府観光局のページから
地元民や観光客を含めたほとんどの人が、上下白い衣装に赤いスカーフを巻く出で立ち
これは白と赤の服がこの地方の正装であり、赤いスカーフは斬首されたサン・フェルミンを思うために巻く
そんな歴史と文化の余韻に浸る余裕のないジョニ
Pamplona (パンプローナ)めざして 高速道路を1時間 ひた走り
坂道を延々と登り こんなところを車で乗りいれていいかな と疑問に思いながら 小高い丘の上の
Pamplona (パンプローナ)大聖堂に到着
14〜15世紀に建てられたゴシック風の パンプローマ大聖堂
その後の改造増設もあるので純ゴシック様式ともいえない。ただ、前身はナバーラ美術館に優れたロマネスク柱頭などを残すロマネスク大聖堂
大聖堂のまわりに 盛装した少女たちが三々五々 集まってきます
スペイン人の女性は 20代後半になると 美人さんは少なくなるが 小学校低学年までの美しさ では世界有数のものがある
さあ 次の目的地はPuente la Reina (プエンテ ラ レイナ)だ
巡礼路ドライブの旅 第2日 Pamplona( パンプローナ )から Leon(レオン)まで移動 - Camino de Santiago 2017.5
第2日
San Sebastian(サン・セバスチャン) → Pamplona (パンプローナ)→ Puente la Reina (プエンrzoテ ラ レイナ)→ Estilla (エスティーリャ)→ Logroño (ログローニョ)→ Santo Domingo de la Calzada (サントドミンド デ ラ カルザダ)→Burgos (ブルゴス)→ León (レオン)2017.5.14 SUN
San Sebastian サンセバスチャン の 市内を見下ろす高台 Monte Igueldo Pamplona を12時すぎに出発
相変わらずの強行スケジュールで San Sebastian サンセバスチャン 出発がゆっくりだったので
上のピンクの 巡礼路Camino de Santiago フランス人の道 の Burgos ブルゴスから Leon レオンの間の巡礼路の町のうち3つの町
Fromista フロミスタ (サンマルチン教会) Carrion de los Condes カリオン (サンタマリアカミノ教会)
Sahagun サアグン (3つの巡礼者教会)
はパスすることにした
(備忘録)
1214 5/14 Monte Igueldo San Seb を出発
1355 5/14 Pamplona Catedral を出発
1432 5/14 Puente la Reina
1509 5/14 Estella-Lizarra Gustavo de Maeztu
1529 5/14 Estella-Lizarra 出発
1600 5/14 Logroño
1622 5/14 Logroño 発 Sant Domingo de la Calzadaへ向けて
1700 5/14 Sant Domingo de la Calzada到着
1735 5/14 Sant Domingo de la Calzadaを出発 Leonへ向けて
2008 5/14 Parador León Parkingへ
2025 5/14 427号室へチェックイン
トマトとサーモン ルッコラ ドライトマトのサラダパスタ
2130 5/14 着衣のまま寝てた
2530 5/14 二度寝