2015年01月12日

昨日は 1/11sun 高校入学試験の受験番号を思い出した





高校の入学試験の出願に出掛けた母が家に戻るなり
「すごくいい受験番号だったの たぶん合格間違いなしよ!」
とニコニコ

その受験番号は 111
きのうカレンダーを見ていて久しぶりに思い出した

いままでなら競輪の特進 ピンピンピン を連想するが・・

(競輪 A級1班およびA級2班のレーサーが3開催連続して「完全優勝」つまり 予選あるいわ特選 準決勝 決勝すべて 1着 を達成した場合は、即時に昇級すること)

ま それはともかく

結果は合格

あのころは遊んでいても 女の子と付き合っていても
芥川や太宰ではないけれど・・
いつも大学受験への『漠然とした不安』が背後から迫ってきていた

初めてクラスで自分より成績の良い者を見て (こいつにはどうやっても勉強ではかなわない) と脱帽したのも 高校時代だ

ジョニの学年は医学部医学科に90人進学しているが・・

彼は東京医科歯科の医学部医学科 千葉大医学部医学科 両方に現役合格

で千葉大を辞退 医科歯科へ
人格も優秀 いつも日本共産党の機関紙 前衛 を愛読書にしていた

お気に入りのアーティストは イタリア共産党の赤い星にして
ショパンコンクール優勝の マウリツィオ ポリーニ


ジョニ 密かに 彼こそは大学に残り医学部教授になるであろう
 と期待していたのだが・・

彼が5年前に医局を出て都内に循環器内科を開業したのは ショックだった

ジョニが訪ねて行ったときに 電話対応で「すみませんが その患者さまの お名前いただけますか」
なんて話をしている

すごい謙虚になっていたので 二度びっくり

学生時代から彼はずっと傲慢不遜なところがあったので


しかも最近では彼が超多忙で会うのも憚られる

彼の病院が評判になり患者が殺到
初診の順番が数カ月も待たないととれないようだ

「もう1人 医師を雇って二診体制にすりゃいいのに」

彼にそう言っても聞き流されている

いまに多忙すぎて 彼自身が狭心症で亡くなるんぢゃないか と危惧している


ジョニーがはじめて女性を体験したのは高校1年のとき
いま彼女に遭っても年上だったから クソババーだろうな笑

自分が会社員に なれない性格 と悟ったもの高校生のとき

あのころから自衛隊も創価学会も不思議に違和感なく嫌いではなかった

公明党の代議士の娘とつきあっていたこともある

いまだに高校のクラス会 同窓会は一度も開かれていない

野球部の山田クン クラス会の積立金 ネコババしちゃだめですよん

秋になると ブラスバンド部の練習のトランペットの音とともに 金木犀の濃厚な香り
風に揺れる、中庭のコスモスの群れを思い出す

いま 中庭には新校舎が建てられ 喪くなってしまった































posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 17:35| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする