2014年03月23日
2014.3.23 きょうの『天声人語』は洒脱
きょうのこのコラム、筆者も会心の書き下ろし だろう
肩の力がすっかり抜けて 慈愛深い趣きである
ジョニーの感性に近い
その読後感は 髪をあげたアラフォー女性が地味な和服姿でたたずむ気配か
そこはかとなく 凜として気品を感じる
といってそんな難しい、言い回しはない
筆者の長年にわたる、和漢洋の教養の成せる業なんだろう
日刊テレビガイドの『編集手帳』にも たまに唸らされる
だが きょうの作品を一読すれば、大学や高校の入学試験に 朝日新聞から採用される頻度がなぜ高いか、理由がわかるだろう
朝日新聞を『反日』 として排斥したがる人もいるようだが
国士 あるいは 本当の愛国者を自認するなら 日本語の文章の完璧な理解をめざしてほしい
その人たちこそ朝日を熟読し、日本語の美しさ 清らかさ 含蓄の深さ を理解してほしい
自分の足らない日本語の知識で 自分よりはるかに高尚な言葉を操る新聞社を曲解、断罪など ちゃんちゃら可笑しい
ちなみに ジョニー おまえはどーなんだ という読者の問いには・・
世に伯楽ありて、然る後に千里の馬有り
の言葉を贈りたい
(以下引用)
和菓子はなやぐ春
長命寺、道明寺と聞けば、すぐに桜餅が頭に浮かぶ方は多かろう。数ある和菓子のうちで桜餅の人気はゆるぎない。「好きな和菓子」を聞いた本紙別刷り「be」のアンケートでは、通年定番の大福をおさえて堂々の1位に輝いた
▼その桜餅に、葉を食べるか食べないかという長年の「議論」がある。葉ごと食べるのが粋だという人。葉は香り付けだから、むいて淡い移り香を楽しむべしとする人。自説を譲れぬ向きもあろうが、どちらが正しいというものでもない
▼このあいだ「和菓子屋におはぎの幟(のぼり)」と書いたら、春はぼた餅、おはぎと呼ぶのは秋だと、いくつか指摘を頂いた。よく聞く説ながら、どう呼ぶのが正解と決まったものでもないようだ
▼使い分けには諸説がある。春は牡丹(ぼたん)に見立ててぼた餅、秋は萩(はぎ)だからおはぎ。ほかにも、もち米主体をぼた餅、うるち米主体をおはぎ、などがある。季節感は大事だが、地域差や売り物としての語感もあろう。春におはぎと称しても菓子屋さんの不勉強とは限らない
▼ともあれ、春がめぐれば和菓子もはなやぐ。容姿で自己主張する洋菓子にくらべ、季節を先取りして寡黙にたたずむ印象だ。桜餅も、本物の桜が満開になる前こそ、ほのかな紅が美しい
▼甘みもしかり。桜餅は、「これが甘味でございと威張られるよりは、そっと甘さが入っているのか――と思案させるぐらいの甘さ」がいいと、名料理家だった辻嘉一(かいち)さんが書いていた。待ちわびる花の便りは、日々に北上中である。
朝日新聞2014.3.23 から無断引用