2013年08月28日

日テレ社員 小林正典、強制わいせつで逮捕 「恋のから騒ぎ」プロデューサー



$美容外科医ジョニー のブログ
「もう少し話をしよう」とホテルに連れ込みキスして乳さわっただけですぅ どーせ日テレがもみ消しますから



はたして 日本テレビ、読売新聞はいっさいこの事件を報道せず黙殺

さすが ねつ造の日テレ 情報コントロールを本気でねらっている 

日テレ関連会社の重役・原経厳(はら・けいげん)容疑者(45)が大麻所持で逮捕起訴されたときもダンマリを決め込んでた




そーいえば


 ネプチューン・名倉潤のキャバクラホステスへの事件 ももみ消されたしね

ネプチューン・名倉潤のキャバクラホステスへの事件


今から10年前の2000年、ネプチューン・名倉潤(ナベプロ所属)が、フジ局員と六本木のカラオケ店に行ったらしい  同行していたホステスに対して仰転な仕打ちを展開

それがビックリ!! ホステスの股間(局部)に無理やり野菜ステイックを突っ込むという仕業

ホステスの彼女が被害届を提出して問題発覚となったようですが、最終的に不起訴

その後も、そんな破廉恥行為など何もなかったように振舞う関係者と名倉・・・所属のナベプロと、ある筋の関係者によって事件は明るみに出る事はなかったそうです(フジ関係者の証言)



(以下引用)




逮捕容疑は5日午前2時ごろ、知人の女子大生を港区のホテルに連れ込み、ベッドに押し倒して胸を触ったり、キスをするなどのわいせつ行為をしたとしている。女子大生が同日、同署に被害届を出した。

 
同署によると、小林容疑者は7月に知人を介して女子大生と知り合った。犯行前日の4日夕に女子大生と待ち合わせ、ホテル内のラウンジで飲食したあと、「もう少し話をしよう」と上層階の客室に連れ込んだという。

 
小林容疑者は日本テレビの人気番組「恋のから騒ぎ」(平成23年3月終了)のプロデューサーを務めていた。日本テレビは「当社の社員が逮捕されたことは誠に遺憾。事実経緯の詳細が明らかになり次第、厳正に対処する」とコメントしている

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130816/crm13081613270003-n1.htm








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〈書評をコメント〉「折口信夫の青春」 折口が同性愛者だったことに衝撃





折口 といえば大多数の識者が想うことは 民俗学の先達 柳田國男の一番弟子 というもの

だが 「折口信夫の青春」(富岡多恵子 安藤礼二 共著)によれば 彼はホモセクシャルであったという

さらに同書では同性愛者であることが彼の人生と著作活動に及ぼした影響を彼の著作を手がかりに掘り下げてゆく

現代とは比較にならないほど、閉鎖的保守的だった明治〜昭和初期

この時代に ホモセクシャル ということを隠さず、要職に就き、旺盛な著作活動をするためには よほど自分に自信があり周囲の彼への評価が高かったのだろう

あるいは 『大鏡』に描写されるほど太古の時代からの、仏門における稚児の存在など、もともと日本の文化には同性愛への寛容の精神に満ち溢れていた というべきなのか

とにかく わたしは 折口信夫が同性愛者だったことに衝撃を受けた

そんなことを言うこと自体が 折口に対して失礼というものだろうが・・


赤坂真理氏の「折口信夫の青春」への書評

『閉塞感や疎外感に苦しむ、すべての人に。私は、折口信夫がこの国に生きていたという事実、それだけで、励まされる』

これは彼女自身が折口の著作で励まされ、心の支えになっていたことの証 といってもよいだろう


赤坂氏の書評に目を通すだけで半分「折口信夫の青春」を読了した気になるから不思議だ



(以下引用)




赤坂真理氏の「折口信夫の青春」への書評

朝日新聞2013.8.25


(書評)『折口信夫の青春』 富岡多惠子・安藤礼二〈著〉
 ◇対談で描き得た人物像の新地平
 

折口信夫は、長らく私の気になる人だった。今や私のアイドルと言っていいが、彼自身の著書は、ぐっとくると直観はしても、とっつきにくい。しかし、折口に共振した人が紡ぐ言葉には、読んで心をわしづかみにされるものがあり、私が折口に近づいたのも、本書の対談者、安藤礼二や富岡多惠子の著作を通してだった。
 
折口信夫には、謎が多い。柳田國男の弟子というのが広く知られた顔だ。しかし、柳田に出逢(であ)う前に、折口の世界はすでに豊穣(ほうじょう)だったのであり、言語学、宗教学、のみならず短歌、小説など、これだけ多くの領域で一流の著作をなした人は、そうはいない。本書では、主に柳田以前、折口という「人」が形成される幼年期から青春期を、著作等を手がかりに追っている。
 
折口は同性愛者だった。その点も、二人は追う。暴露趣味ではなく、ごく自然に、人と人が出会い惹(ひ)かれ合い別れた記録として。すべての人間関係は恋愛に似る。そしておよそ「個」などというきらめきは、他者との圧倒的なかかわりの中からしか出てこない。
 
私が、他の折口論にいまひとつ興味を持てなかったのは、ほとんどの論者が、折口のセクシュアリティを、あたかもないかのように扱い、結果、どこかが薄かったからだ。富岡や安藤は、それほどに大きなファクターが、人生と表現に影響を与えないほうがおかしいと考える。折口は、同性愛者であることを隠さず、要職に就き、愛する者たちと共同生活を営み、磁力を放つ著作をなし続けた。家父長制の強かった時代において、想像を絶する勇気である。無視するほうが失礼ではないか。
 
驚くべきことに、この種の人材は、今日の日本社会においてさえほとんどお目にかかれない。異性装タレントには驚くほど寛容な一方、喧伝(けんでん)される幸せのかたちは、「男女が結婚して子供をつくり育てる家庭」ばかりであり、それ以外の物語はほとんど話題にもされない。それは多数派だろうが、そのかたちばかりが強調されて多様性がなく息苦しさを覚えることも、少子化の大きな原因ではないだろうか?
 
読めば読むほど引き込まれる本である。謎がさらに大きな謎を呼ぶミステリーのようであるし、明治から昭和という激動の時代と一人の人間のドキュメンタリーとしても、人間の孤独や愛を普遍的に描いた文学作品としても読める。資質も性別も世代もちがう二人の論者が、補完しあうようにピースをはめ、そうでなければ完成しない像があったと思わされる。
 
閉塞(へいそく)感や疎外感に苦しむ、すべての人に。私は、折口信夫がこの国に生きていたという事実、それだけで、励まされる。









posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 15:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする