折口 といえば大多数の識者が想うことは 民俗学の先達 柳田國男の一番弟子 というもの
だが 「折口信夫の青春」(富岡多恵子 安藤礼二 共著)によれば 彼はホモセクシャルであったという
さらに同書では同性愛者であることが彼の人生と著作活動に及ぼした影響を彼の著作を手がかりに掘り下げてゆく
現代とは比較にならないほど、閉鎖的保守的だった明治〜昭和初期
この時代に ホモセクシャル ということを隠さず、要職に就き、旺盛な著作活動をするためには よほど自分に自信があり周囲の彼への評価が高かったのだろう
あるいは 『大鏡』に描写されるほど太古の時代からの、仏門における稚児の存在など、もともと日本の文化には同性愛への寛容の精神に満ち溢れていた というべきなのか
とにかく わたしは 折口信夫が同性愛者だったことに衝撃を受けた
そんなことを言うこと自体が 折口に対して失礼というものだろうが・・
赤坂真理氏の「折口信夫の青春」への書評
『閉塞感や疎外感に苦しむ、すべての人に。私は、折口信夫がこの国に生きていたという事実、それだけで、励まされる』
これは彼女自身が折口の著作で励まされ、心の支えになっていたことの証 といってもよいだろう
赤坂氏の書評に目を通すだけで半分「折口信夫の青春」を読了した気になるから不思議だ
(以下引用)
赤坂真理氏の「折口信夫の青春」への書評
朝日新聞2013.8.25
(書評)『折口信夫の青春』 富岡多惠子・安藤礼二〈著〉
◇対談で描き得た人物像の新地平
折口信夫は、長らく私の気になる人だった。今や私のアイドルと言っていいが、彼自身の著書は、ぐっとくると直観はしても、とっつきにくい。しかし、折口に共振した人が紡ぐ言葉には、読んで心をわしづかみにされるものがあり、私が折口に近づいたのも、本書の対談者、安藤礼二や富岡多惠子の著作を通してだった。
折口信夫には、謎が多い。柳田國男の弟子というのが広く知られた顔だ。しかし、柳田に出逢(であ)う前に、折口の世界はすでに豊穣(ほうじょう)だったのであり、言語学、宗教学、のみならず短歌、小説など、これだけ多くの領域で一流の著作をなした人は、そうはいない。本書では、主に柳田以前、折口という「人」が形成される幼年期から青春期を、著作等を手がかりに追っている。
折口は同性愛者だった。その点も、二人は追う。暴露趣味ではなく、ごく自然に、人と人が出会い惹(ひ)かれ合い別れた記録として。すべての人間関係は恋愛に似る。そしておよそ「個」などというきらめきは、他者との圧倒的なかかわりの中からしか出てこない。
私が、他の折口論にいまひとつ興味を持てなかったのは、ほとんどの論者が、折口のセクシュアリティを、あたかもないかのように扱い、結果、どこかが薄かったからだ。富岡や安藤は、それほどに大きなファクターが、人生と表現に影響を与えないほうがおかしいと考える。折口は、同性愛者であることを隠さず、要職に就き、愛する者たちと共同生活を営み、磁力を放つ著作をなし続けた。家父長制の強かった時代において、想像を絶する勇気である。無視するほうが失礼ではないか。
驚くべきことに、この種の人材は、今日の日本社会においてさえほとんどお目にかかれない。異性装タレントには驚くほど寛容な一方、喧伝(けんでん)される幸せのかたちは、「男女が結婚して子供をつくり育てる家庭」ばかりであり、それ以外の物語はほとんど話題にもされない。それは多数派だろうが、そのかたちばかりが強調されて多様性がなく息苦しさを覚えることも、少子化の大きな原因ではないだろうか?
読めば読むほど引き込まれる本である。謎がさらに大きな謎を呼ぶミステリーのようであるし、明治から昭和という激動の時代と一人の人間のドキュメンタリーとしても、人間の孤独や愛を普遍的に描いた文学作品としても読める。資質も性別も世代もちがう二人の論者が、補完しあうようにピースをはめ、そうでなければ完成しない像があったと思わされる。
閉塞(へいそく)感や疎外感に苦しむ、すべての人に。私は、折口信夫がこの国に生きていたという事実、それだけで、励まされる。
posted by 美容外科医ジョニー Plastic Surgeon Johnny at 15:46| 東京 ☀|
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